パソコンが壊れたと思ったら・・・

電気料金の支払いが出来ていなくて停止しているのだった。


それを知らずに、電気店にパソコンの修理を頼みに持って行って置いてきた。
数日経って、いつもは家の電話でかかってくるところから、続けてケイタイにかかり、その時はなんとも思わなかったが、次第に、『何でみんな、ケイタイにかけてこられるんだろう?』と思うようになった。ついに、「デンワタノム」と継母から電報が・・・・・????? それで継母にケイタイで、「わざわざ電報なんて・・・」と言ったら、「あなたの家の電話とまってる」って。?????????と、自分のケイタイで家の電話にかけてみたら、「お客様の都合で使われておりません」。


パソコン店にパソコンを取りに行ったら、「そうなんですよ、電話したんですが通じないので、来られるのを待ってました。代金はいりません」って。

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気を取り直して、パソコンが使えなかった間、ワープロにメモっていた日記を。

2008/08/11 100メートル平泳ぎ「北島康介の優勝」
スポーツの観戦は好きだが、贔屓のチームや選手が勝ったからといって、それで泣くということはなかった。
でも、北島のあの力泳の姿と、ゴールの瞬間は、清冽で、思わず知らず涙にくれてしまった。


彼自身もプールから上がって後のインタビューで泣いておられた。それだけこの四年間に苦しいことがあり、それを乗り越え、なおかつオリンピックの凄まじいプレッシャーにも打ち勝った、そうした経緯への感興のあらわれだったのだろう。
感傷の涙にはつい目をそらしてしまうが、北島の涙にか謙虚にすらなったよ。



2008/08/11 夫は痰がからんで呼吸困難になる
ここのところ、夫は痰がからんで苦しそうだ。私の父親も病状にいる時、よく痰がからんでいたが、自力で吐き出し介護者を頼らず始末していた。
それをずうっと見ていたせいもあって、痰と言うのは本人が自力で出し始末をするもの、と思い込んでいた私は、夫の全くの無防備、依存的姿勢には戸惑いすら感じている。


辛そうなのでなんとかしてあげたいと思うが、口にたまった痰をガーゼでとってあげようとする時すら、夫はおちょぼ口にしてしまいスムースに口中をきれいに出来ないのである。
では痰はとらなくても気にならないかというとそうではなく、自分がちょっと口を開ければ誰かがなんとかよくしてくれるのが当たり前、と思ってる感じがするのである。まったくなんとも・・・。
これは夫の認知症という症状なのだとわかるものの、正直、「しっかりしろィ!」と一度横面を張り倒してやりたいっすよ。


夕べも、喉がゴロゴロしはじめて、大騒ぎ。
一月に入院した時、先生や看護師さんが、自分でゴホゴホとやって頑張って痰を出しなさい、と何度も言って下さったが、その時も、口をぼあっと開けて全くの脱力状態。先生が、「ご主人、いつもこんななの?」と私に言って、フンという笑いを口の端っこに見せられたんだけど、「そうっす! ずうううっと!」。
結局、夕べもとうとう眠れなかった私は、これを書いている今、鬼のような形相になっているだろう。


あぁあ、ヤバヤバ・・・。両方に一番いい方法を考えねばなぁ・・・かなぁ・・・。



2008/08/11 GO! GO! 谷亮子
テレビで、キャスターやゲストらしい人たちが、谷亮子さんの今後について語り合っている。もう引退していいのではないか、という人。まだ続けられる、という人。


外野も外野、場外外野から無責任に言うと、谷さんはもう一回オリンピックに挑戦した方がいい。その力があると思う。というより、今回の敗戦(銅といやぁ凄いことなんだけど、金メダルに焦点を絞っていらしたので、そういう意味では敗戦かな)で、かえって金メダルへの執着から解脱ができ、本来の力がもっと漲って余人をよせつけない洗練に達するに違いない、という気がするのだ。



2008/08/09 昨夜、中国北京オリンピックの開幕
絢爛豪華な芸術性の高いイベントが披露され、その美しさ高度さ完璧さに息をのみ見とれた。ほんとに凄かった。


でも、心のどこかに、『オリンピック開幕式に懸けるはずだった予算を、四川省地震の被災者への救済と復旧のためにまわし、例えイベントが地味になっても世界に対して堂々としていたら、世界はそれを深く理解し、中国は希望の光の存在になっただろう・・・』と思うものがあった。チベットの問題もひっかかっている。


ほんとに思う。もし、国家の威信をかけた事柄の前でも、国民の困窮を救う選択を最優先にする国があったら、世界は虚無に堕ちることはないだろう、と。


でも実際は、『国家』に限らず、『組織』(大きいものであれ小さいものであれ)というものは、長の威信、メンツといったものなどを優先することに流れやすい。個人でも、魂が発露するものよりも、己の力や正当性を競い合うことが多い。


などと思うからといって、北京オリンピックの開幕のために、全知全能をかけてあれだけの表現をし、成功を果たした芸術家、職人、技術者、働いた人々の凄さの前には謙虚でありたい。もっとも、個の才能と努力は、いかなる政治的思想をもってしても低められ貶められることはないけれども。


素晴らしいオリンピックになるよう祈ります。