大河ドラマ「篤姫」二十八回 ふたつの遺言

篤姫宮崎あおい)と家定(堺雅人)の別れほど切なく哀しく、むごいものはない。互いに同じ屋敷内にいて(いかに広かろうと遠かろうと同じ屋敷内といえる)、そして互いに気遣い合い、片方は自分の死期を察知していていながら会うことが叶わず、そして片方はそれと知らぬまま永久の別れが来てしまったのだから。

家定が、篤姫から届いた碁石を見つめながら、「いつかのように来てくれぬかのぉ」というシーンは透き通った水底にいるかのような静けさを感じるだけに観ていて悲しかった。
そして、家定が倒れた後に、大老になった井伊直弼中村梅雀)を呼んで、「篤姫を次期将軍慶福(松田)の補佐役の一人に入れるように」と言う場面のセリフがすごい。怪訝な不服な思いを露にする井伊に、家定はこういう意味のことを言うのだ。
「御台は戦さばかりをしていた男というものが及ばぬ見識を持っている。国のためになる」
これは篤姫が私をはなれた”大きな愛”の人だ、という認識と理解の上での言葉で、実際に家定がこうであったかどうかはわからないが、なんともいえない感銘を受けた。そして篤姫は、運命は過酷だが、幸せな女性だと思った。自分の愛する人に、大切にされるということは、根源の部分での理解をされるか否かにかかっているからだ。表向き必要とされているように見えても、ただ便利なだけだとしかみられてなければ真実の幸せなどない。夫婦でも恋人同士でも友人同士でも、仕事上の関係においても、だ。

篤姫と家定の間には、上に書いたような重い意味の言葉はあったが、死別そのものの時刻は描かれていず淡々としていた。この演出はすごいと思う。今後刻々となんらかの形で浮き彫りにされるのだろうが、この回では、当時のリアルなままに”会わされない距離”のままになにもなく淡々と過ぎたのだ。

それにひきかえ、養父の斉彬(高橋英樹)の死は、これまで比較的淡々としていた分を取り返そうとするかのように、篤く深く描かれていた。
特に、篤姫が意識的に見まいとしていた文の中身がはじめて明かされたのだが、そこに斉彬の慈愛の深さ、正しさと高潔さが一気に立ち昇り胸の腑におちた。

「この後、そなた(篤姫)と薩摩は敵味方になるやもしれぬ。それを怖れず、己の信じる道をゆけ」・・・こうはなかなか言えませんゾ。

このふたりの死を悼む気持ちと、篤姫の慟哭の強さが身近に迫ってくる感じに涙してしまった。

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ふたりの死と平行して、時代は井伊大老ファシズム(?)に向かおうとしている。井伊は、自分に反対の立場でいた老中たちをどんどん退却させている。中村梅雀は、井伊を、ねちっこく執念深い権力者、という像で演じているようだ。悪役に徹するのだろうか。こういう男の恐ろしさが今後どのように展開していくか、楽しみである。

篤姫と関係のないメモをひとつ。
山本モナさんが所属している会社が北野たけしさんの会社と知って、無期謹慎の処置は、モナさん自身の将来のためなのだろうと想像した。そうしなくては世間が承知せず、かえってモナさんをだめにしてしまう、ということだろうと。

もうひとつメモ。
石原都知事が、サミットはなにもしなかった、と怒っていた。私は石原氏が嫌いなのだが、この言には賛成する。自分の程度が低いから今回のサミットが果たした価値が理解できないのだろうか、と思っていたくらい、このサミットって?????であった。