気になる「ゴンゾウ」の感想番外編

昨夜は結局夫はしばらく徘徊状ではあったがその後よく眠り、今も気分よさそうに寝息を立てている。夫こそ体調の悪かった間はしんどかっただろう。目が覚めるまで邪魔をしないでおこうと、私は二階で、今一番気になっているドラマ、ゴンゾウについてちょっと書くことに。
でもその前に、つい今ネットのニュースで見た、「山本モナさんが巨人の二岡とナントカの顛末があって無期謹慎になった」ということに。

山本モナさんの無期謹慎ってなに?
二岡選手も一軍昇格が見送られたそうだが、こうしたレベルの処置を、例の落書き事件などもそうだったが、どこもここも続けていて世の中をどうする気?!
二人の行動は、表立って見たらたしかに軽率だろうけれど、こんな処罰をすること? 軽率でもアホでも、それなりの言動に対しては、それぞれの場で誰でもそれなりの何かを受けるもんよ。場合によったら被害にあった当事者に訴えられたりする。それでいいじゃない? それを本人が本人の人間性をもって受ければいいことでしょ。

モナさんと二岡の場合、それぞれの所属の場から、「バカなことをしてけしからん」と怒られるのも当然でしょ。でもそこで終わって、あとは世間の中の許せないという人がナンダカンダ言うだろうけれど、それは仕方ないでしょ。これでいいのでは? 

所属の事務所や球団が、世間に、『二人をこのように罰しました』と見せる。そのために、社会的に葬るほどにまでする。・・・これは間違っている、と私は思う。世の中が、水面下で、欺瞞、偽善の花が咲き誇るだけになってしまうよ。それこそ恐ろしい大変なことだよ。

どちらかが未成年とか暴力でナントカ、ということなら別ですよ。
とにかく、保育園で幼いこどもが泣いたら蹴飛ばす、足をもって逆さにする、洗濯機に入れるゾと脅す、などなどの行為をしていたところが、単なる注意を受けるだけに終わったり、自分の立場を利用して弱い側に不利益を蒙らせたり、税の無駄使いをしまくってる人たちが、たいした罰も受けずに社会でエラソーに振舞っていることこそ承服できない。そして社会はそういう人たちになんでこうも寛大なんだ!?


さて、気を取り直して「ゴンゾウ〜伝説の刑事」のことだけど・・・2話について冷淡な見方をしていたが、実際は、「このドラマは相当のものを含んでいる」と、とても気になっている。

たとえば、佐久間静一(筒井道隆)が”サイボーグ”とあだ名されていること。これは”鋭く冷徹”という意味であろうと思うが、筒井道隆は、単に鋭く冷徹に見せる演技をしていない。むしろ、”本当のことを見通そうとすることに全てをかける清明な目”のままでいる。2話の中で、綿引洪が、綿々と自分の思いを語りそうになった時、「捜査に関係のない発言はいい」と佐久間が制する。回りの刑事たちは、一瞬ひるんだ様を見せる。『聞いてあげればいいじゃないか、なんだこのサイボーグは』と心で言っている。

こうした人を制するやり方は、トップの者はよくやる。そうやって下を制していくのだ。部下や周りの者や事柄に洞察性をもたないトップにこれをやられると、下の者や周りの者はヒゲキだ。

だが、公正な洞察性を持つトップのこれは、真実に通じるんですね。逆に洞察性のない部下にこのことを理解されないトップは孤独を強いられる、ということになる。
佐久間はまさに孤独なサイボーグなのだろうと思う。あのシーンはそうしたことを語っていた気がする。

とにかく私にとって、ゴンゾウは見逃せないドラマで、現状の日々の中での数少ない楽しみな刺激のひとつ。


追伸:主題歌のこと
主題歌、素敵ですね。1話の時からそう思っていたのに書き忘れていた。
昨日、リンクを辿っていたら、東映のこのドラマのスタッフの人らしい複数の人の会話のようなものが出ていて、そこに主題歌の誕生裏話があって面白かった。
http://www.toei.co.jp/tv/gonzo/index.html