”当事者”になるということ

イージス艦
こうした事件のむごたらしさは、巨大な権力の側が、被害者の方はもちろん国民が一番知りたいことを何か隠している、というところにあるんですね。行方不明になっている方のご家族の無念、やりきれなさ、憤りの強さ、深さは想像もつかない。


■中国食品問題
このままうやむやになってしまったら、こんな気味の悪いことはない。真実追及に毅然と立ち向かえるかどうかはもの凄く大事なことだ。


■”当事者”になるということ
イージス艦、食問題ふたつをとっても、己を守るには、それぞれの大きな傘のうちで真実にふたをして違う方向をギャァギャァと指していればいい、ということが証明されているようで、そのことに打ち萎れてしまう。


私はそうした傘そのものを拒否して、いつも自分をさらして生きてきたといえる。その孤独感をいつも感じていた。特に猫や犬が私の周りに捨てられるようになり、そのことが自分を蝕むようになってから、その実感は強い。
こうした動物問題において、当事者は動物自身で、私のように生きるものは、第二の当事者、といっていいだろう。


”当事者”になる、ということは本当に重いことだ。
でも、それが課せられ、逃げる算段をせず生き抜く人生をおくる、という宿命はなかなかスリリングでサスペンスでそれなりに面白いゼ。(笑)


第二の当事者たる私が肝に銘じるべきは、真の当事者を見習って生き抜けばいいってことなんだけども、凡人たる私にはこれが難しくてね、なんだかんだと世事に惑い、惑わされますダヨ。(苦笑)