寺を探す

あるブログで、『阿弥陀の浄土というのは、死んでから生まれることでなく、この生きている世界の中で、生まれる、現生に往生する(略)』という法話を見つけた。
もしかしたらこの寺のご住職の法話が定期的に開かれているのかも知れない、それならそれに出て、現生に往生する、ということを聞いてみたいと思い、思い立って、夫をともなってその寺を探した。住所を見ると、比較的近いと思われたからだ。


見つかったのだが、さんざん遠回りをしてしまい、ずいぶん時間がかかり、境内に入っただけですぐに家に引き返した。法話の案内もなかった。
でも、利根川の土手を水の流れを眺めながら走り、すがすがしい気分がしてよかった。