猫のブチ子と私と動物病院の先生に降りかかった災難とその選択

猫のブチ子は、昨年の何月ごろだったか森の猫たちの食卓に現れるようになったメス猫だ。また誰かが捨てにきたと思い、大人になっているし、赤ちゃんが生まれると結局かわいそうなことになってしまうだろうと、私は動物病院に不妊手術を依頼した。すると、ナントすでに手術はされている、という。二回もおなかをきられたブチ子にさんざん謝った。飼い主さんにも謝罪しなけりゃとさがしたが、これはついにわからず、そのままになっている。
ブチ子が手術をされているということは、飼い主さんがいるということなので、私は安心してブチ子を森に帰した。
ブチ子は、雨の日や夜はいなくなっていたから、やっぱり自分の家があってそこに住んでいるのだろう。


ところがである。今朝のことだ。いつもの通り森の食卓に猫たちのごはんをもっていくと、ブチ子がこれもいつもの通り来ていたのだが、よくよく見ると、ブチ子のおなかが横に張って大きいのである。
腸の具合が悪いとおなかが膨らむことがあると聞くがそうなのかなぁ?と、それなら苦しいんじゃないかなぁ?と、ブチ子を抱き上げおなかをさすった。ん? なにやらオッパイが大きい気がするゾ。


私はしゃがみ、ブチ子をひざに仰向けにねかせておなかを見た。やっぱりオッパイがうちの猫たちと違う!
ピンク色にふくらんでいる。これは妊娠しているということだ!なぜ?避妊手術はしたはずではないか!?


私はブチ子を無理やりエプロンにくるみ家に連れてきて、動物病院は日曜日の午前中も診察があるはずなのですぐに電話をかけた。すぐに連れてきて、ということだ。ブチ子をかごに入れ、あたふたと病院に走る。
レントゲンを撮って、ナント、ナント、子猫が三匹いるとわかる。小さな丸い背中が互いに寄り添っている姿。
先生の茫然とされた表情。
私も同じくである。


「子猫、どうしますか。手術しますか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」


病院から今帰宅したところだ。これから、飼い主をもう一度探すつもりだ。飼い主に経緯を話さなくちゃいけない。
飼い主が見つからぬか、あるいは見つかっても「自分は知らない。子猫はいらない」と言われた場合(こうなる可能性が大と思う)、私が結局子猫をどうするか選択をすることになる。この事態は決定的だろう。


飼い主がいてもおそらく外猫だろうブチ子は、外のどこかで猫を生むことになるだろう。
運がよければ、子猫は誰にも見つからずに育つだろう。だがこの土地にきて十七年の経験から、そんな運のいい子猫は100000匹中、一匹いるかいないか、だ。断言する。納屋や物置で猫や犬がこどもを生んだら”始末する”。この土地の人たちは、それが”普通のこと”なのだ。悪でも善でもない、”普通のこと”なのだ。


私は今、この前の高熱が続いた後、爪の変形と口内発疹と眠れぬほどの激しい咳に悩まされている。体力もおちていることを自覚する。病院ではストレスの蓄積、といわれている。これは誰に言われなくてもわかっていることだ。あらゆるストレスに襲われている。それでも、夫を介護しながら、三十匹の猫と犬の命を守るために必要な経済の確保も含めて必死で頑張ねばならない状況になっている。
その中でのこの思わぬ事態は、まさに”災難”だ。
それとも、神の”意図”か”失態”か??・・・・・・ナンチャッテね。ナゾ言ってる場合じゃないゾ。まったく!!!!!!!! 
このやりきれなさをどこにぶつけりゃいいんだー!!!!! なんでこんな事態ばかりが降りかかるー?????
グレテヤルゾー!!!!!!!!!!!!!


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ナンチャッテね。・・・今ブチ子の写真を持って、まだ訊いて回っていなかったところまで行ってきたけれども、やっぱり誰もこの猫を知らない、と言われる。・・・・・ま、なんとかなるか。


病院から帰ってきたブチ子。動くのでなかなかいい写真が撮れない。


ここは私の仕事部屋に作ってある猫の寝場所。テーブルの下に座布団と電気式毛布を入れて毛布で覆ってある。夜はドラ猫のニャンタがもぐりこんでいる。今、ブチ子が入って身繕いをしている。ブチ子も疲れたろう。いきなりまた車に乗せられて病院だもんな。人間だったら、おなかの赤ちゃんには手を出さないで! というだろう。・・・ほんとに人間は自分の都合を中心に考えることしかしないね。(_ _)