読売新聞ニュース『愛するペット困らぬように…行政書士に遺言相談が続々』を読んで

愛するペット困らぬように…行政書士に遺言相談が続々
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080209-OYT1T00376.htm

愛するペットが困らないように、遺言を残しておきたい。遺言書作成のアドバイスを行う行政書士に、そんな相談が相次いで寄せられている。

 民法上、ペットに直接遺産を残すことはできないため、ペットの世話をしてくれることを条件に、家族以外の人に遺産を贈るという内容の遺言書を作るケースも出てきた。少子高齢化で独り暮らしのペット愛好者も増える中、ペットへの“遺産相続”の問題に関心が高まりそうだ。

 「人によっては、ペットは家族以上の存在。遺言への関心も非常に高い」

 東京都台東区行政書士、伊藤浩さん(46)のもとに、「ペットに遺産は残せるか」という相談が初めて寄せられたのは5年前。以来、約50件の相談があった。

 民法上、ペットは「物」で、相続人にはなれないため、遺産を相続させることはできないが、伊藤さんは「負担付き遺贈という方法なら、事実上、ペットのために遺産を残すことはできる」と説明している。「負担付き遺贈」は本来、「親の面倒を見る条件で遺産を残す」「農業を継ぐ代わりに土地を与える」といった遺言の仕方だが、これをペットに応用した形だ。

 この方法で、これまで3人が実際に遺言書を作成した。1人は70歳代の女性で、愛犬のために残す遺産は1500万円。贈り先は気心の知れた近所の友人だ。夫に先立たれ、独り暮らしになった女性は「これで肩の荷が下りました。私にもしものことがあっても、大丈夫ですね」と、ほっとした表情を見せたという。

 ほかの2人も高齢者で、ペットの世話を条件に300万〜500万円の遺産を贈るという遺言書を作った。トラブルが起きないよう、遺言書は自筆ではなく公正証書にし、エサの回数や散歩の頻度など世話の内容を具体的に定めた「覚書」を、遺産を贈る相手と交わした。伊藤さんは「独り暮らしの高齢者がペットと暮らすケースは増えているが、飼い主が突然亡くなれば、最悪の場合、処分される可能性もある。遺言書を作っておくことは、飼い主の安心のためにも、ペットのためにも有効」と話す。

 相談者は高齢者に限らない。インターネット上でペットに関する相談を受け付けている熊本市行政書士事務所には、30歳代の独身女性2人から遺言書を起案してほしいという依頼があった。うち1人は十数頭の犬を飼っており、同僚など数人に数頭ずつ世話を託した遺言書を作ったという。
安易な依頼は禁物 ただ、遺産相続を巡る問題だけに、トラブルも予想される。弁護士でペットに関する法律問題に詳しい吉田真澄・帯広畜産大教授によると、〈1〉遺産だけ受け取って世話をしない〈2〉法定相続人などから異議が出る〈3〉世話を頼んだ人にペットがなつかない――など、様々な問題が生じる可能性があるという。

 対策の一つは、遺言内容を実行に移す権限をあらかじめ与える「遺言執行者」を指定しておくこと。約束を守らない場合や、世話の内容があまりにもひどい場合、この遺言執行者が、遺産を贈るのを取り消すことができる。

 とは言え「世話」の定義はあいまいだ。吉田教授は「ニーズが高まっているのは確かだが、安易な遺言書の作成は禁物。本当に世話ができる人なのかを事前にきちんとチェックするとともに、病気や緊急時の対応も含め、世話の内容をこと細かに決めておく必要がある」と話している。

この記事を読んで、「自分の死後、残されるペットのために遺言を書いておく、か・・・わかるなぁ」と身につまされた。
実は、このことは十年以上も前から思い、友人たちとよく話していたことだ。私は日記やブログでは、次々捨てていかれる猫や犬への哀れさ、無責任な人々への怒りなどをバタバタと書き綴っているので、動物好きの、他のことは何も考えたり意識していない無知で無能なおばさん、と決め付けていいように言ったり書いたりしている人もいるらしいが(笑)、三十年に及ぶこうした暮らしを通してきた私なりの『見識・覚悟・決意・・・そして虚無』がある。
これらもろもろの達観や煩悩は、いつか別の形で書くつもりだが、この記事のように遺言を残しておこうとする人たちとその人たちの愛するペットが、心穏やかに生き抜かれやがて望まれる通りになられることを心から祈りたい。


ひとつ、何年か前にホームページに書いた、「シロ」の最後を転載しておこうと思う。
「シロ」は、ある高齢の方に飼われていた犬で、その方が亡くなられた後、私が引き取って17年間ともに暮らした犬である。この犬ほど、自分をしっかり持って、自分の感じるものに従って生きようとした犬は他にいなかった。
あらためて、シロが今、元の飼い主のおばあさんに天で再会して幸せになっていることを願いたい。

マオの日記
2002年10月24日(木)

シロを引き取った1985年、あの子はもう大人の犬になっていた。
事情があって私の家にきた。シロは真っ白で愛らしい容貌をしていて、
誰にも可愛い可愛いと誉めそやされる犬だったが、私には大変な手の
かかる厄介犬だった。ロープでつなぐとキャンキャンと鳴きたて、そ
れでは庭の柵を高くして庭に放しておくと、柵の下を掘って脱走した。
一日に三度散歩をしてやってもそうであった。脱走してうろうろして
いた所で保健所に連絡され、保健所から散々注意をうけたこともある。
(シロは前の飼い主に放し飼いにされていたのだろう、我が家の犬に
なって、この子はひとつも幸せそうでないなぁ)と私は沈むことが多
かった。なんとか、「この家でもいいや」と思うぐらいに幸せにして
やりたいと思った。
ある脱走してしまったときのことだ。
保健所に問い合わせても、捜し歩いてもシロを見つけることはで
きず、私は、シロはもうここには帰らないのだ、と半ば諦めかけてい
た。心中に、(あの子はうちが嫌いなのだ。他にも犬が何匹もいて、
猫も庭にゾロゾロとたむろして、飼い主の私は庭から自由に出そうと
してやらず、やたら躾をしたがるウルサ型だ。こんな家大嫌いだ、と
思っているに違いない。幸せでないのだ)と思い、切なかった。
そんなシロがいなくなって半月ぐらい経った雨のしょぼ降る日のこと
だった。門扉のわきに、ずぶ濡れになったシロが立っていた。
私が傘を放って、「シロ、帰ってきてくれたの、おいで」としゃがみ
こむと、シロは尻尾を振りながら寄ってきて、自分から庭に入ってい
った。この日が、シロが、我が家を自分の家と定めた日になった。と、
私は思っている。なぜならそれからシロはあまり脱走をしたがらなく
なったのだ。あの日のことを思い出すと今でも泣けてしまう。
だが、茨城に来てから、しばらくまたシロの脱走が続いた。
子供好きのシロに、近所の子供たちの顔が見えるようにと、玄関先に
つないだり、いろいろ気を使ったが、やはり家が好きになれないよう
で何度も脱走した。
そしてついに一ヶ月も行方不明になったことがあった。
前の埼玉の家に帰って行ったのではないかと、そちらの保健所にも報
告しておき、ポスターをはりにも行った。
するとある日、埼玉の家の近くの人から電話があった。「白い迷い犬を
うちに保護してます」と。すぐに車をとばして迎えに行った。
白い短毛でオス、とシロの特徴を話していたのだが、そこにいた子は、
長毛のメス犬だった。ボロ雑巾のような姿で背中はただれ、立ってい
るのもやっとという姿の子であった。その子にその場でシロコと名前
をつけ、我が家族に迎え入れた。この時のこの家の人とは今もお付き
合いが続いている。この方は、私に言われた。「メス犬だから、お宅
の犬ではないとわかっていました。近所の方が、Sさん(私のこと)
がくれば、違う犬とわかっても、その犬が生き場がないと思えば、見
捨てないだろう、きっと引き取られる、と言われた」と。
その言葉を、私は帰りの車のなかで苦笑しながら思い出していた。本
当にそうなってしまったが、心でどうしようと苦しかった。犬が一匹
増えるのは本当に大変なことだったのだ。だが、たしかにシロコを見
捨てることは出来なかった。鳴き声さえ忘れたかのようにぼおっとし
ていたシロコ。背中の傷だけでなくあちこちに傷を負っていたシロコ。
(このシロコは一年後に他界した)
ところがこの日、思いがけない顛末が待っていた。
シロコを、なんとか工夫して、食堂の下側の庭の一部に柵を作ってお
ちつかせ、暗くなった頃、他の犬を三匹連れて散歩に出たのだ。
森のわきの道を、月明かりを頼りに歩いていると、ふと犬たちを見る
と、数が多いではないか! たしか三匹のはずなのに四匹いる!
なんと、シロであった。どこから同行していたのかシロが混じってい
たのである。不明になる前は、ともに歩いていた犬たちだから、誰も変
と思わずに黙っていたのだろう。
この時の嬉しさは、言葉では表現できない。
シロは首輪も鑑札もなくなっていたが、真っ白のままで、まるまると
して、毛並みも綺麗だった。どこかの家で保護されていてそこを逃げ
だして帰ってきたのだろう。この時、”シロが帰ってきた”と思えた
ことが嬉しかった。シロは茨城のこの家も、我が家として認めてくれ
たのだと実感したのだ。
・・・・・あれから十年近い日が流れ、シロは今年で19年目になり、
いなくなってしまった。今度こそもう二度と帰ってくることはない
のだ。ここ二年間は家の中でくらした。食べるものも特別なものだっ
た。足腰がついに立たなくなった一ヶ月前からは、スポイトで栄養食
やケンコウジュースを飲ませてきた。
21日の午後、私は買い物に出かけた。シロのために栄養食も買った。
帰って居間の時計を見ると三時半であった。そのままシロのいる食堂
の方に入った。寝たきりになっていたシロが、「お帰り」というよう
に前足を動かした。私は、「シロや、ただいま〜」と声をかけ、買い
物した品物をテーブルにおき、シロに水を飲ましてやらなくてはとま
たシロの方を見た。シロはもう息がなかった。お帰りといった合図だ
と思った前足の動きは、息を引きとる最後の足掻きだったのだとやっ
とわかった。
だが、やはり、あの子は、私が帰るのを待っていてくれたのだと思え
てならない。寝たきりが長かったから、シロは苦しんだ。しばしば、
「シロを楽にしてやってください」と本当に神に祈った。
そうしてついに息をひきとったシロ。
私は今朝目覚めたあと、シロのこうしたことを思い出し思ったのだ。
(動物は死んだら、自分が一番幸せだった日に戻る)と。シロは、
やっぱり、脱走を続けていきたかったはずのところに戻ったと思う
のだ。私の家には戻ってきていないだろう。
動物たちは純粋ゆえに妥協を知らない。忍耐はしてもあくまで魂は、
自分の行くべきところを見つづけているのに違いないと思うのだ。
だから、私はシロを見送って、大きな責任を果たしおえたような気が
する。この世でシロを守るには私しかいなかった。だから私のところ
にいた。もう自由になったシロは、前の飼い主の方のところに戻れた。
19年前、シロを引き取る前に亡くなられた一人暮らしのおばあさんの
いた家に。


うちに来て17年生きたから、おそらく19歳で永眠したことになる。最後の頃は、このように眠ってばかりいた。


歩けなくなる直前の写真。このようにいかにもぼおっとした表情になり、動きもボツボツしていたが、散歩は本当に好きだった。ロープをもって、「シロや」と呼ぶと、頭を下にさげた状にして右に左に振り、寄ってきた。それがいかにも、喜んで懸命に急いでいるように見えていじらしいのだった。