仏教童話

仏教童話が終わったそうだ。さっき、仏教童話の編集を含めてプロデューサー的な役を担っておられた作家の長崎さんからメールが来た。
「そうかぁ・・・残念だなぁ・・・」


仏教童話は、制作のお寺さんや作品を書いておられた作家の方々が思う以上に価値があるものだと、私は思っている。もう他界してこの世にいない私の父は、長年入退院を繰り返していたのだが、その間、病院でも家でも、仏教童話を愛読書にしていた。字が大きく、長さがほどよく(原稿用紙3枚ぐらい)、絵が綺麗で、そして何よりお話のもとになっている”ほとけさまのこころ”のような物語に、気持ちを慰められる、と言っていた。http://www.tohgo.gr.jp/


父は、私にはじめて、イエス・キリストという人のことを教えてくれた人である。多分、小学校2、3年の時だったと思う。
四国の田舎から東京に出た中学一年の時に、東京の暮らしや人になれるまで寂しいだろうからと、教会の日曜学校に行くようにしたのも父である。余談だが、この日曜学校の同じクラスに、田舎ものの私からみたら王子さまのように見えた同学年の男の子がいて、私はその子に憧れのような意識を持ち始めていた。ある日、席がそのこの隣になり、緊張のあまり、私は椅子ごと後ろにひっくりかえってしまったのである。・・・その後どうしたかなどは覚えていないのだが、後にクリスマスに劇があり、そのこと男の子の友達同士、の役で出たのは記憶にある。つまり私は男の子の役で、名前はトムだった。


父の話に戻るが、父はそうやってイエスや教会に私を誘ってくれた。だが、父自身は見るからに物事や事柄や人に深遠な思いを抱いている人間には見えなかった。でも死ぬまでどこか神や仏の存在を受け入れていた。魂の何らかが人事をこえた存在から何か受けていたものがあったのだろう。


そういう意味で、私は仏教童話を何作か書き、父がそれを喜んで身近に常においていてくれたことが嬉しい。もっとも父は私の作品にはあまり感心せず、最上一平さんや岡田なおこさんや他の人の作品に感銘を受けていたようだった。