継母と私

継母のたったひとりの身寄りだった弟さんが亡くなった。
私からは義理の叔父さんになるのだけど、私は殆どおじさんと呼ばなかった。ただ昨年の夏、継母の家で最後に会った時、「おじさんの好きなお酒をお土産にもってきました」とお酒を差し出したら、「人からぼくにお土産だといわれたのははじめてだよ」と嬉しそうな笑顔をされた。その時、『私を嫌っていつも不機嫌なのだと思っていたけど、私の方がもっと親しみをもっていたら身構えられなかったかもしれない』と思った。
そのおじさんが亡くなったと私に告げた時、継母はこれまでおじさんの悪口ばかり言ってたのに、ほんとに寂しそうだった。

帰りがけ、継母に、「私、これから、おじさんのかわりに、たびたびお母さんの顔見に来るね」と言ったら、継母は、「ほんと!? きてね」と応えた。
継母はいつも私が来るのは迷惑そうだったし、「また来るから」というと、「あなた忙しいんだから、そんなに来なくていいわよ」と言っていた。私は時々、『もう親だと思うのやめたいな、この人の娘であろうとしているの疲れる』と思ったりしたものだ。

『これからは娘であろうとしなくても娘なんだ・・・』と思う気持ちがこみあげた。
しばらく前から気持ちに傾いていて、私自身、継母に向かい合うのは苦痛でなくなっていた。
叔父さんの死が決定的に私に継母に心を開かせた。継母もまたそうなのだろう。

継母が私の父と結婚したのは私が二十歳の時だったから50年前だ。
50年という月日が私たちには必要だったのだ。神様って、さすが、気長がだよね・・・。