得難い友の死

かじゅこさんはよく「サカチュウ」の話をした。サカチュウの博学ぶり、社会観、人間観の深い洞察性、世事に妥協しない生き方、そして何より、音楽や絵画を愛する、しかも飄々とした人間性
24年前に都心を離れて一人猫たちを救い守りながら山で暮らすかじゅこさんにとって、そうしたサカチュウとの電話による交流は、魂を豊かに潤すものであっただろう。


「マオさん、たいへん! サカチュウがさ、急死したって、お姉さんから連絡があったの。58歳よ、58歳で死んでしまったのよ」
かじゅこさんは、泣くでもなく思い詰めた様子でもなく、ただ少しテンションは高く感じたが、日常のちょっとしたことを知らせる、という感じであった。


でも私はこの夜、眠れなかった。かじゅこさんが得難い友人の死に、どれほど打ちのめされてているかわかっていたから。そして不思議なことに、サカチュウは私は一度も会ったことがなく、ただかじゅこさんの言葉を通してしか知らない人なのに、私にとっても得難い貴重な友人をなくしたという思いが迫ってくるのだった。


私たちは、生き物をこよなく素晴らしい共生の友とみていた。文を書き、絵を描き、表現・芸術があることでほかの何もほしがらずにいた。そういうステージにそれぞれの存在を敬っていた。名もなく貧しかったが名や物質を得るためのつながりはつゆも求めることなかった。


今日、かじゅこさんが心配で電話をしたら、思った通り憔悴しきっておられるのがひしひしと伝わってきた。
「かじゅこさん、サカチュウはさ、死んで役目を果たすんだよ。そういう役目の生があるんだよ」と言ったら、「そうかもね・・・・・でも膨大な原稿があるんだよ、サカチュウにしか書けない原稿がね」と寂しそうに答えられた。


「その原稿、守らなきゃだめよ。灰にされたら駄目よ。サカチュウの素晴らしさをわかるものが、守るの。それが生きてるものの役目よっ!」
私は殆ど叫ぶように言った。


「わかった! これからすぐに電話をしてみる。ご遺族の人にサカチュウの書いたもの、集めたものを決して整理しないで、と頼んでおく」やっとかじゅこさんの声に活気おようなものが戻っていた。