教会のミサ・・・何年ぶりだろう

何年も前から、自分が本当に限界をはるかに越えて困窮し疲れていることを自覚している。


動物のことでも人のことでも、何かあると、自分にできることはないか、誰かの助けが必要ではないか、と後先考えず動き出してしまうが、すぐに、自分もまたもう立っていられないほど困窮し疲れきっていることを思い知るのだ。
そうなった後、自己嫌悪や自他不信がそそり立ってきてなお自分を追いつめる、この苦しみも尋常ではない。


このままではどうしようもなくなる、自分をしっかり保たなくては、などなどの想いの経緯があって、ついに以前からネットでメッセージを拝見していた教会の門を叩いたのだった。


私が求めているのは、貧しき家にころがりこんで、慈愛深き存在に抱きしめてもらうことなのだろう。私は本当にもう全てを失い何もなく、ただただ眠りたいのだ。


でも、十数年ぶりに行った教会は楽しく、いい学びがあった。深く感謝をしている。