「安住紳一郎の日曜天国」の音楽を聴きながら

今朝の安住紳一郎の日曜天国は、合唱をはじめどれも深く胸にしみいってくる音曲を流していた。聴きながらパソコンに向かっていると、いつの間にか涙が頬にするすると流れてきた。

私のようにたくさんの捨てられた猫たち犬たちと暮らしていると、今回の地震原発事故は、あらためていざという時の心構えに迫られる。

最初の大きな地震が起きた後、揺れの最中は家の柱にしがみついていたが、一応おさまってからは近所のお年寄りの方や赤ちゃんのいらっしゃる方が気になってかけつけたりした。そしてうちの前に集まって、携帯のニュースを見あったり、励まし合ったり、これから用意しておくものや心の準備についてみんなで語り合った。


暗くなって、もし夜間にもっと大きな地震がきたら、町で指定されている場所に行くのは危険なので、近くの大木のない笹藪に布団などを入れてみんなで避難すること、各自、水、当座の食料、薬、懐中電灯、温かい衣服や毛布などをまとめておいて持ってでること、高齢の方と赤ちゃんはみんなで守ろう、など話し合い解散したのだが、最後に私は、「うちは動物を置いて避難はできないので、状況によっては覚悟を決めて家に残るから理解してね」と言った。みなさん、黙ってうなづいてくださった。

その後原発の事故もわかり、私の覚悟は本当のことになったと日々思う。
そういう思いが感傷を呼ぶのか、優しい美しい歌声、音曲にほろほろほろほろと涙が感応してしまうのである。

命がなくなるかどうかは天にまかせる覚悟が潔くできる気がするが、私と親友であり家族の沢山の動物たちの命が消えるまでの艱難辛苦、恐怖、不安の出来事と時間を考えるとちょっと重くなるのだ。