あなた方が捨てる犬や猫を救っている人なのですよ

タイトルの言葉は、以前に住んでいた埼玉県北本市の元動物行政担当の方の言葉だという。私には珠玉の言葉なのでこの元担当者の方に深い感謝の思いをこめて書きとめておく。


北本市の二ツ家という地区に住んでいた頃の思い出は悲しみと惨めさと人間不信の思い出ばかりのような気がする。
それいぜんに住んでいた西千葉のマンションで猫が六匹になり、この二ツ家の一戸建ての家に引っ越したのだった。それなりの広さの庭があり、裏側に家が三軒並んでいたが、東側はきちんと整備された大きな調整池、南側の庭の向こうはめったに人の来ない調整池の管理棟、西側は牛牧場と森が広がり、猫がいて悪いと言われるような環境ではなかった。


だが、何らかの問題をかかえている者にとって、自分たちが心地よく生きられるかどうかは、人間の数が多いか少ないかで決まるわけではないのだ。私の場合にあてて言えば、もし猫がいるには不適な環境であっても、そこの人たちが、「べつにいいじゃん、いろんな考えと人がいて当たり前じゃん、いやだと思う人は付き合わなきゃいいだけじゃん、猫が嫌いなら自分の庭に来た場合は追っぱらえばいいんでないの?」というような思考であれば何の問題も起きない。

だが、人家が近くに一人しかいなくて、しかも自然の多い猫がいるにいい環境であったとしても、そこのいるたった一人の人間が、「あの人の家の猫は問題だ、猫をなんとかしてもらうべきじゃない?」と関係のない地域の人まで巻き込んで大騒ぎをするようになれば、問題は実際の問題以上の意味を持つようになる。この場合、殆ど、問題とされた当事者の人間へのいじめになっていく。そのことは、猫は問題だ、と騒ぐ人にとっては、自分は正義だと確信しているので、いじめであることに気づきもしないのだ。


また当事者が私の如くに気の強い何か言い返さないと気が済まない人間となると、いじめ側の思うつぼである。「ほら、こう言った、ああした」と何事も悪になってしまうのだ。そうした事態になって苦しむあまり病んだ姿になろうとも、そこに一片の慈悲もおこらない。むしろ非難と言ういういじめは増していく。現代はこうなのだ。寺や教会の教えにすがろうとしても、現代の宗教家の多くは、真理も義も愛も、この世の価値観に合わせたものでしかないのだ。うっかり救いを求めようなら、苦しみは百倍千倍になる。・・・私はそうであった。


やがて猫だけでなく犬も我が家の敷地に入れて行く人が出てきたのだが、最初の犬が表の道路に人の姿をみればキャンキャンギャンギャン吠えたてる洋犬の雑種で、鳴き声がうるさいという苦情といやがらせも起こり、「犬まで飼い始めた」と誹謗中傷は強くなった。
犬の飼い方の本に書いてあった通りに、吠えると、新聞紙をくるくる巻いて、それで口元をピシピシッと叩くようにした。するとそれを見た人が、「犬をいじめて鳴かせている」と触れまわるのである。引っ越してすぐに猫を捨てにくるがいたから猫の数はあっという間に多くなったのだが、そうした猫のうち、群れを好まない猫もいて、そういう猫がすきを見つけては外に出るのだが、それを見て、「猫を家に入れてやらない、えこひいきをする」と噂を立てる人も現われるのである。

そうした人の動向を過小評価して済ますことのできない私には、まこと残酷物語でありました。よくあの辛苦を生きて耐えたと思うほどだ。


最初に茶とらの子猫を連れてきた背中に赤ちゃんを背負った人のことは、あれから三十年をこえているのに忘れない。彼女は言った。「これ拾ったんだけど、うち、ホラ、赤ちゃんがいるし飼えないんです。そしたら、お宅の裏の奥さんが、ここに連れていけばいい、六匹いるから、一匹や二匹増えたって同じなんじゃない、と言われたの」。
「一匹や二匹増えて、同じじゃないんですよ、本当に大変なんですよ」と私は答えたが、彼女は意に介せず置いていった。おそらくこの人は、すぐに自分のしたことは忘れただろう。そして、猫のことで面白おかしく、あるいは迷惑至極と我が家の中傷をする人の輪があったら、そこでその人たちの言葉に頷いただろう。


こんなことは、全体の出来事の数のなかの塵のようなもんだった。もっと理不尽きわまる決めつけや仕業をされた。
あまりの辛さに、動物たちの命を守り、近隣の人の迷惑の解消のためにどうしたらいいかを思いつめ、当時犬猫合わせて40匹になっていた彼らを連れて、深谷の在所に一人移動した。自分の食べるものは確保できないほどの経済状態を、新宿の超高速ビルのなかにあるオフィスに勤めてしのいだ。毎日、しゃれたスーツを来て、高いヒールの音をコツコツと響かせながら出社し、夕方帰ったら、猫の毛だらけの服に着替えて犬たちの散歩をし、猫たちと一緒に質素な夕食を食べた。
一日おきに家に帰り、家族の食事の支度をし、冷凍しておき、清掃をしてまた深谷のあばら家に戻った。余談だが、人間の住む家に見えないほどのボロ家だったが、大家さんは当時で家賃を10万円要求した。お願いして8万円にまけてもらって、「ありがとうございます!」と心から感謝した。
もうひとつ余談だが、近隣の人がそんなに迷惑ならとこうして私と動物たちは家を出て、孤独と困窮の暮らしに甘んじていたのに、近隣の誰かは、「奥さんはかけおちした」と触れまわったそうだ。まことまこと、無残な時代でありました。


移動した地は現代でも偏見をもたれることのある地域であった。養豚や牛を飼う家が多く、しばしば動物のすさまじい叫び声がひびいた。このころから、自然に私の食べるものの傾向がかわっていった。食べるときは、心の奥の奥であの叫び声を蘇らせる。「ごめん、ありがとう」と。ただこうしたことはほかの人には見せない。こんな生き方を選んでも、私は常に、私と私のうちの猫や犬を追いだし、残酷な作り話をして噂を立て、そういう自分の行為に痛まない人たちの側の一人だとわかっていたから。このことは本当にわかっていた。立場が変われば、知らぬ間にいじめの側にいるのだ、人というものは、その中の一人に過ぎない自分なのだ、と。


きりがない。猫や犬のことでは受けた弾圧だけでも本にしたら何冊にもなる生き方をしてきた。ブログで書けるものではない。


今日、ここで言いたかったのは、こうした生き方になってきた私にとって、唯一の他者からの救いの言葉があるとしたら、タイトルに書いた言葉ひとことだということなのだ。
そして、やっと、一昨日、真春さんから聞かされたのだ。
一昨日、あの悲しみのまち北本に通り、その時、「このまちでも私は嫌われ者だったから・・・」と言うと、彼女が、「でも、市役所に勤めていた人が言ってましたよ。猫のことであなたの住んでいた近所の人が市役所に苦情を言いに来た時、『あの人は、あなた方が捨てる猫や犬を救っている人ですよ。その人をあなた方は悪く言うのか』と言った、と。」と明かして下さったのだ。


私はそのことを聞いた瞬間、一切の苦が流れていったという感覚がした。私が感激をしたら、真春さんは、「でもその人、近所の人から変わり者と言われているのよ」と言われたけど、変わり者でも家のない人でもどんな無学貧乏な人でも、そんなことはどうでもいいのだ。私はただの一度も、家と名声と学歴をそなえた人の言葉と、その逆の人の言葉の尊さや意味を感じ取るのに、その人の背景をもとにしたことはない。