mixiのなかのK・Iさんの詩 何故叶わぬ夢と思ってしまったか

さきほどパソコンを開いたら、友人の真春さんからメールが届いていた。
だてさんのお兄さんのmixiに書かれていた詩です、とあった。


私はその詩を読んで、自分の全身全霊が清浄なシャワーで洗われたように感じた。
すぐに真春さんに返信をした。
『真春さん! これは希望の詩ですよ! 私たちの祈りが届いていく詩ですよ! 寝込んでいることはないですよ!』と。


人はそうかんたんに人を救うことなどできない。どんな高名な人であろうと、聖人と称される人であっても、絶望の淵にいる人を正しく引き上げることなどできない。そうできると思う人があるとしたら、その人こそ、人を絶望の淵におとす人だ。

私はそれを嫌ほど知って、それでも祈らずにいられない祈りを祈るだけだ。天にむかって。『私はもう二度と、死のうと思うまい。天のもとに虚心に生きれるだけ生きて行かねばならない』との決意をもって。自分が死にたいと思ったら、ひとつ、別のかけがえのない若い命が消えていくことを肝に銘じて。もう誰も悲しい死を選ぶことのないように、こんなちっぽけな非力な欠点だらけの私にできることは、祈りをもって、自分にできる行動をもって生きることだけだ。それが、誰かの命に繋がると信じて。

mixiのなかのK・Iさんの詩
何故叶わぬ夢と思ってしまったか?

生きる事を望んでいる。


遠く陽炎の様な幸せ。


届かない言葉。


彼は彼自身に殺された。

僕は僕によって殺される。


まだ分からない


まだ手に入らぬ幸せが彼を

そして、僕らを待っている。

祈りの声が聞こえる。


そう、僕らは生きる為に生まれた。


何故死にたくなってしまったか?



囚われの心がもがき苦しみ

眠りだけが安らぎをもたらすと思い


肉体に終わりを告げる。


だがそれは痛みとなり生きる辛さを思わせる。

生きる為のルールは病によって足枷となってしまった。


しかし、

全てはこれから



僕らは生きる事を望んでいる。