日本アカデミー賞

今夜、授賞式の様子が放送されていた。私はどの映画も観ていないので、ただ受賞された人たちの様子を観るだけだったが、充分愉しかった。

夫の介護があったから、ここ何年も映画も舞台も観に行くことはできなかったが、中学生になると同時に四国の田舎から東京に住むようになって以後、本と映画を友達として生きてきた。父親と二人暮らしであったがその頼みの父親が鬼のような厳しい人で、私はどこにも心を開いて自分を出すところがなかった。唯一、父の目を盗んで毎週通った映画館が私の孤独心を受け止めてくれたのだった。


銀幕のなかの人々は、それがスターであろうと端役であろうと、私には特別な人々だった。神経質で人みしりで鬼父に自分の自信をことごとく踏みにじられていた寂しい私だったが、その銀幕のなかの特別な人々はただの一度も私を排他しなかった。


今でも、ドラマや映画のなかの人々は私には特別な人たちなのだ。その人たちの晴れがましい幸せそうな様子に、私は惜しみない拍手をおくる。感謝とともに。

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どうでもいい余談になるが、自分を振り返る時、私はいつも自分を内向的で社会性に乏しい孤独な姿として思い出すのだが、他者はそう思ってはいないようだ、例えばこの中学生の時代にしても、父に内緒でこっそりと映画館に通い、堂々と映画を楽しんでいる気の強い元気な少女だったように言われることが多い。

昨日、継母の家に行った時も言われたっけ。「こう言ってはなんだけど、あの難しいお父さんに育てられたというのに、あなたはいつも親切心をもって本当にいい娘だった。私があのお父さんと最後まで一緒にいられたのは、あなたのおかげだったのよ。あなたは私によく気を使ってくれて、だから我慢できたの」と。

私はこの言葉をきいて後ろにひっくり返りそうになるほどびっくりした。私が二十歳の時に父と継母は結婚したのだが、私はずうううううううううううううっと、家庭のなかに居場所がないと感じ続けていたからだ。確かに継母に気を使って、父がグダグダいいだと常に継母の味方をしていたが、そのことに疲れきって孤独だったし、死んだ方がましだと思いつめることもたびたびだった。


ただ、継母には感謝をしている。いろいろあったし、激しい嫌悪を覚えたこともあったし、縁を切りたいと悩むこともあったが、そうした負の感情に捕らわれている時でも、父と結婚し、父の世話に尽くしてもらい、父の未成熟な心を慰め癒してもらえたことへの感謝は一貫してある。自分の負担を軽くしてもらったという私のエゴ心の感謝といえなくもないが、でも、老齢になった継母に、感謝とともに、私の出来る限りの孝養を尽くしたいと思っているこの気持ちは、本当だと言いきることができる。