ドラマのことやぼやき

■てっぱん
夫の介護に懸命だった頃、朝の連続ドラマは観れなかった。8時台はテレビを見ている余裕などなかったからだ。
夫が他界してのちは時間はできたが朝ドラを観る習慣がついてないから、観ないまま過ぎていた。
そして、時々訪れていたブログに、ゲゲゲの女房が面白いと書いてあったので観てみようと思うようになったのだが、なぜか始まる時間に私がスイッチを入れるともう終わっているのだった。朝ドラの開始時間が変わっていたことも知らなかったのである。

でもラスト近くなってやっと8時にはダイヤルを合わせられるようになって、毎朝楽しみになった。
そして最近はじまった「てっぱん」である。
主役の少女もお兄ちゃんもお父さんもお母さんも大好きになった。
ストーリーの展開も面白い。少女が亡き実母のトランペットと出合う展開などドキドキハラハラして真剣に見入ってしまった。祖母の存在感が魅力的で気持ちが自然に移入していく。

トランペットが物語を深くする核になっているが、そのトランペットを祖母に返しに大阪に行って、主人公は音楽に見入られた人たちと新しい出合いをするのだが、このメンバーがまたみんな素敵なのである。

来週が楽しみ。


■高齢孤児
昨日のここの記事で、猫にまつわるチョットカゲキなことを書いていたが、実は昨夕、いつもの猫のごはん配りに行くために車を出そうとすると、タイヤがまるで泥沼にとられたように動かない。何度もハンドルを切り返し切り返ししてやっと道路に出た。急いでいたのでそのまま出かけ、帰ってきてから車を別の位置に止めて懐中電灯で見たら、やっぱり泥沼状態になっていた。

誰かが車の前輪と後輪の間に泥を積み上げていたのである。
昨日、立ち話しをした折に、猫にまつわるこれまで抱えていた懸念を吐きだしたので、それにつながるジケンに違いない、と思う。

近所の子供や他者がつぎつぎにつれてくる猫や犬のことではここに住み始めて20年間、本当に本当に本当に苦しんできた。親をさがして必死に泣く子猫や、老いた犬がただただ哀れでならずみんな引き取りいっしょに暮らしてきて動物たちを悪く思う気持ちは塵ほどもないが、でも実際のところ経済や自分の時間など失うものの大きさには、語っても語っても、訴えても訴えても癒えない傷を内に積み重ねてきた。
そうした悲しみややりきれなさで、ついつい言葉にしたたったそれだけのことも、自分が責められたと感じた人は許せず、こうしていやがらせをするのだなぁと、なんともいえない新たな悲しみがしのんできた。


でも・・・一夜が明けた今日、そうしたことはなんでもないほんの一瞬の幻のようなものだと思った。悲しみですらない。
それどころか、私に相応しい慈悲を仏が注いでくれているのだ。成熟のできない痩せた私の精神に相応しい慈愛。心底それを感受した。

その慈愛は、天空の下、ホームレスとも高齢孤児とも成って生きることへの怖れを取り除いてくれるものなのだ。