芸能リポーター 梨元勝さんの死

ついさっきテレビをつけたら、梨元氏の死亡を伝えていた。すぐに電源を切ったが、どうしても書いておきたいと思う気持ちがおきるのでここを開いた。
といっても梨元氏に関心があったことではない。

この人が芸能リポーターとしてテレビによく出られるようになられた頃のことだ、当時、芸能リポーターという”職種”に嫌悪を感じていた。梨元氏やほかの芸能リポーターと言われている人を誹謗する気持ちはなかったが、ただ著名人の隠したがっておられることや、失敗などを暴いていると見えるこの職種が、とても卑しく間違ったものだ悪貨だと感じてならなかった。

余人のもっていない才能をもって仕事をしている歌手や俳優たちが、リポーターにカメラの前でプライバシーを露わにされ怯えた表情をされることもあるのをみて、私は芸能リポーターという仕事を嫌悪し、こういう仕事の人が今後はばをきかしていくのだろうか、才能人の秘密や失敗をまな板にのせ、みんなでよってたかって裁き面白がる劣化していく世の中になるのだろうか、とぞおっとしたのだ。


そう感じた通り、テレビなどのなかでは、実際どんな才能や努力や鍛錬や感受性を磨いておられるかどうかしれない人たちが、著名人のその人たちが当然ひそめていていいはずの部分を暴きだして、自分たちだけが裁き人の資格があるとばかりに言いたい放題の言動をしてもてはやされ、世間はそうした色になっていった。


梨元氏と言う人は、そういう土壌にした一人であろうと思う。その方が亡くなったと報道で知り、芸能リポーターの功罪は、これからどのように社会に影響していくのだろうか、と、今や高齢孤児のようにボロクソになって生きている私は思うのである。

だが今は、芸能リポーターが現れた頃のような嫌悪感も蔑視感も起こらない。

全て、自分もしかり、なのだ。