夢ー月ヶ瀬

よく夢をみる。でも時期を異なって同じ夢をみるということはなかった。
それが、昨夜みた夢は、以前に一回みたものだった。風景が同じだったというより、夢でそこにいた感覚が同じだった。

それは山のなかをひたすら歩いている夢だった。行くところはわかっていた。月ヶ瀬だった。


林さんが折口信夫の本を書かれたと知って、まれびとを含めて折口信夫の私なりのイメージにふけっていた。それが月ヶ瀬につながった気がする。
月ヶ瀬に行くということは、あの青年に会いたいということだった。それが夢になったのだろう。
最初にこの夢をみたのは、あの事件が報道された後だった。理性では殺された少女への悼みでいっぱいだったが、別の私の分身・本能といっていい・は殺した青年(魂は少年であったろう)と同じくのたうっている感覚があった。



さきほど投票に行って、古河まで出かけ、用事を済ませて帰宅したところなのだが、この間、ずうっと上のことを繰り返し考えていた。帰ってからこうしてパソコンに向かい、またまれびとさんのブログに出かけた。

今回はこの記事に留まった。

 新聞書評に載っていた折口信夫論よりの抜粋。 

 家があり、故郷があり、そこに懐かしい血縁の人々がいて祖先を祭っているという〈伝承〉の図像をもたない、また、もてない人間。

 〈家〉に定住する根元的な存在としてなど、評価されたくないのだ。出ていくものを温かくがまんづよく送り出す側になど、なりたくないのだ。私たちは、もっとわけのわからないモノになりたいのだ。

(持田叙子「折口信夫 独身漂流」人文書院)