龍馬伝「愛の蛍」

タイトルの「愛の蛍」を具象した場面は涙なくしては観れなかった。
奥貫薫の富は、この場面だけでも本望ではなかったかと思うほど素晴らしかった。武市半平太大森南朋の凛然とした男らしさは、攘夷に突き進む時よりもはるかにここであらわれていた。綺麗だった。

以蔵(佐藤健)への凄惨な拷問など、早くこういう恐ろしい場面はいってほしいと思うが、こういう時代を描いているのだから残酷は一層高まっていくのだなぁと辛くなる思いも。それに、人間の生きるところ、形の変わった凄惨がそこらじゅうにある。特定の人間が起こした事件などということではなく、あなたのそばにも私の傍らにも。愛や平和の言葉の氾濫するところこそ。(ああ、暗くなる・・・だからこそ明るく元気に生きていきたいものだ)

ところで、お龍(真木よう子)の「かめやたさんは、信念を貫かれたのでしょ? よくやった、よく頑張った、とほめてあげるべきではないのですか」と、龍馬(福山雅治)に言い放ったひとことに心臓をつかまれた。

これはやはり凄い作品なのだ、とあらためて感じた。
人間が理想や目標に向かって闘うとき、ひとりひとりの魂、思いを、多くのリーダーは鼻にもかけないできた。個の魂に拘る人間を無視してきた。
私は社会の疲弊は、こうした個をおろそかにした結果だと思っている。そして自分自身も含めて人間が今閉塞しているのは当然だとも。

龍馬伝は、それらの具現と、龍馬やお龍などを通して、閉塞を真に開くのは何かを示そうとしている、としみじみ感じた。勇気のしみでる思いだった。