相撲と暴力団

親方が暴力団にチケットの便宜をはからったことがわかり、相撲界が再び大騒動になっているというニュースを聞いて、何十年も忘れていた記憶が蘇った。

中学の二年の二学期から三年にかけて、愛媛県のU市の中学に通っていた。三年の時だったと思うのだが、U市に相撲の巡業がくることになり、観戦希望者は学校から行くことになった。
当時は愛媛の南の田舎町ではまだテレビが映らず、私は映画館に映画を観にきったときにニュースが流されるそのニュースで観た相撲に魅せられていたので、観戦を申し込んだ。

その頃私は、東京で事業をはじめた父が落ち着くまでと伯父の家に預けられていたのだが、その伯父が、相撲を観にいくのはならん! と許してくれないのである。
伯父は商店の経営や、二つの事業をU市でやっていて人脈の広く、U市のことなら何でも知っていて、相撲はやくざが巡業を用意しているので、そばによるのも駄目だとすごい剣幕で言うのだった。そしてもしやくざににらまれたら恐ろしいことがおこる、とそれはそれは中学生なら誰もが震え上がるようなことを言うのである。
おまけに、一緒に行こうと約束していた仲良しの友達も、両親にとめられたといって行かないことになってしまった。

私はがっかりして困ったが、それでも観たいので、父から送ってもらていたお小遣いで学校に申し込んで行った。女子で行ったのは私だけだった。
相撲はそれはそれは面白く、帰りに、大勢の男の子たちにまじって、お相撲さんにサインをしてもらいにテントの楽屋(とはいわないか・・・)に押しかけた。

でもお相撲さんたちはむすっとした顔をして、うっとうしいそうにみんな追い払われた。
私は雑誌で写真をみて知っていた大関の松登を見つけて、飛び出て近くまで行き、ノートを差し出した。だが松登は不機嫌きわまりない表情で、大きな手を払うように動かした。手は、「しっしっ」と言っていた。私は当時はむかついたなどというセリフはなかったが、ようするにむかついて、なお近づき、大人の人たちがやっていたように、腕をパシパシとたたいた。そして走ってそこを出た。

翌日、クラスの男子に、「おまえ、どきょうあるなぁ」と尊敬された。調子にのってしばらく得意がっていた。
そこでやくざだが、別に、やくざにはにらまれなかったし、観戦に行ってる間は、やくざのことはなんちゃ思い出しもしなかった。とにかく愉しかった。相撲は今も好きである。

あれ? 何を言いたかったんだっけ。そうだ、相撲と暴力団は昔からつきものだったのではなかったのだろうか、ということを書きたかったのだ。
二行で済むものをちょっと自分の怖いものしらずを自慢したくて余計なことを書いてしまった。

で、だからこのたびのニュースの行為はいいというわけではない。まだこういう形で続いているのか! と驚いたということだ。