食べられずに殺されていく牛、豚たち=口蹄疫

これまで関心ももたず、何の見識のない者が訳知り顔で言えることではないが、この問題が広がっていくなかで、思い出してならないことがある。

四十年近く前の、まだ夫が社会で働いていた頃、杉並区方南町の高層住宅に住んでいた。住宅の近くには神田川が流れ、畑も多く、結構のどかな風情を残していたが、地下鉄の駅のまわりはバリバリの都会風であった。
その都会風の中に、ブロイラーの飼育と販売をしている工場(店)があった。あることで飼育場の中を見てしまった。自分の身体ほどのスペースしかない箱に生きたままつめられて餌を食べていた鶏。なんと! こんな飼い方をしているのか! という驚きの後、口もきけないほどに落ち込んでしまった。もうお肉は食べない、とも思った。

だが、幼児期の息子のいる暮らしのなかで、家族の栄養を第一に考え、いつしかブロイラーの残酷を忘れていった。


その後大分たって、一匹の猫との出会いから、猫や犬を捨てていかれる暮らしになったのだが、その経緯のうちに、ある団体の方たちが、実験動物の実態を調べ、そのむごたらしい様子を公表され、内情のほんの一部分を見ただけで、人間の幸福と利益のために、こんな犠牲を強いてきたのか、人間の誰が他者のためにこんなひどい恐ろしい苦痛を強いられて受け入れられるだろう、と、自分が人間であることが辛くて虚しくて、病んでいくほどになった。そして、自分は病院も行かず薬も飲まないと思いつめた。

だが、夫の病状が重くなるにつれて、あちこちの病院に望みをかけて頼り歩いた。


また、ある時期、さいたまのK市に住んでいた頃、隣りがたくさんの乳牛を飼っている農家であった。
ある朝、牛舎の裏手に、まだ身体のぬれた生まれたばかりと思われる子牛が横たわっているのを見た。子牛は、懸命に立ち上がろうとしてはどおっと倒れ、なんともいえない哀しげな声をあげた。

私はびっくりして、「たいへんだ! 赤ちゃん牛が、裏まで行って倒れている!」とそこのお宅の人に告げた。
後に知った。生まれた子牛がオスだった場合、殆どの子を母親のお乳も飲ませず放置して死なせるのだと。
あまりのショックに、そこに住むのがいやになった。

だが、ローンをかかえて購入したその家を手放すことは出来ず、いつしかそのことを頭のすみにおいやって、そこの家の人とも付き合って生きた。


ほかにもいくつか同じようなことがあって、忘れることで行き過ぎていった。


口蹄疫で殺され続けている牛、豚たちのニュースをテレビで観ながら、そうしたことをひとつひとつ思い出している。牛や豚はなにも罪はない。罪は人間だけにある。でもその罪なくして私たちは誰も生きられないのだ。
それらの全部を背負って耐えている当事者の人たちにうなだれている。


そして別の思いとして浮かぶのは、命のために命をもらう、という意味と違う、生き物の命を弄んでいる世相だ。口蹄疫で殺されていく動物たちに、すがりついて訊いてみたい。私たちはいつか許される日がくるの? と。