テレビ朝日放送「脱線 5年」

昼間は黙々と片付けをしている。捨てても捨ててもゴミの山だ。何か私の人生を象徴しているようだ、と苦笑いをしてしまう。

そうやって昼ひなかを過ごすと、夜になると座っているのも辛くなるほど眠く、テレビも部屋の電気もつけたまま倒れるように横になる。


つい先ほどのことだ。人の言葉を聞いたような気がして目が覚めた。「なぜ死ななければならなかったのか・・・」というような声だった。起きると付けっぱなしだったテレビの画面に一人の女性がおられた。その方が病を抱かれているのがすぐにわかった。
5年前、福知山線脱線事故で、一人息子さんが乗っておられ、後その息子さんは心を病まれてついに自殺をされた方だった。息子さんが家から出られなくなられたのを、ともに見守っておられたご主人を不慮の事故で亡くされたあとのことだ。


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放送が終わって、洗面所に行った。鏡に、伸び放題のバサバサの白髪頭をして、泣きはらした顔の私が写っていた。人生のなかで、誰からも心を開いてもらったことがない人間の顔だと思った。
そしてそれは、誰にも心を開いたことのない人間の顔でもあった。喩えようもなく醜くかった。
私は夫の死を悲しんでいるのではなく、ついに私に一度も心を開くことなく逝った夫が哀しいのだ。父親もそうであった。
年ばかり重ねてそうしたことの克服もできず、貧しいエゴイストで今も在る自分であることが悲しいのだ。

これらの寂しさが魔物のようにとり憑いているのだ。



この世には欺瞞に彩られた愛の言葉が満ち満ちている。そんな世に幸せなどというものがあるのだろうか。


そのくせ、テレビで見た女性のために祈らずにいられなかった。

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<4日の午後になって>
夫の死に関して一番悲しみが深いのは、その死に方だ。愛も親身さの欠片もない病院のあの薄汚い病室で、痰がのどにからんだのにとるのを後回しにされ、誰にもその苦しみをみてもらえず死んだ姿。これは私の推測でしかないが間違いではないだろうと思わせる実証を手にしている。

だが、どれもこれも私が自分の疲労にかまけず、頑張って、何としても信頼できる病院に転院すればまぬがれたことだった。もういろいろな意味で私自身の力が尽きていた。助けてほしかった。救ってほしかった。そう願い望むだけで動くことができなかった。この自身の情けなさ、自分への嫌悪、決定的な罪悪感。
こうしたなかで唯一の慰めは、自分を嘆く深さの前に、病院やそこの人々の不実、非力さえ憎むことがないことだ。