大仏開眼(後編)

伝染病、天災、権力争いで混沌とする古代。聖武天皇國村隼)は、人々の平安を願って山のように大きな仏を建立する。この大仏建立を軸に、吉備真備吉岡秀隆)、玄纊i市川亀治郎)、藤原仲麻呂高橋克典)、阿倍内親王のちの孝謙天皇石原さとみ)たちのそれぞれの愛、欲望、そして死を描いた壮大な人間ドラマである。

歴史を知らないと人間模様と展開がわかりにくい面があるが、一人一人の人生をきちんと描きあげているので、そこに生じる物語は説得力がありとても感動した。

吉備真備阿倍内親王の、ふたりの手が静かに重ねられ、すっと清冽にはなれていく場面に象徴する二人の愛の激しさ深さ切なさ美しさは胸に迫る。

玄纊はまだ幼い皇太子候補の安積親王(中村凛太郎)に毒を飲ませ、苦しむ親王が立ち去ろうとする玄纊の背中を、はや霊になって取り憑いたかのような凄まじい力でつかむ、その一瞬、いつもはいかにもしたたかに己を押し隠していた玄纊が、我を忘れ恐怖に慄く。そして親王の血で顔を染め、雪の外に転がり出て、懐から落ちた大仏の絵図を広げると大仏の顔もまた血に染まっている。絵図をかき抱いて慄き泣く玄纊。・・・・・・このシーンのすさまじさは、悪人が自分の悪業をつきつけられ恐れおののくという単純なものではなく、もっと深いものを抽出しているところにあるのだろう。後に玄纊は九州に追いやられ、途中に殺されるのだが、その玄纊の生涯を観て、歎異抄の”善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや。”という言葉を思った。

藤原仲麻呂の死もまた哀しい。仲麻呂に唐に追い払われた真備が奇跡のような生還を果たし、人々を苦しめ世の中を疲弊させている仲麻呂と戦をするのだが、仲麻呂は舟に逃げようとしたところを敵兵に矢を射られる。苦しい息の下で、真備と対する仲麻呂は、激しく嫉妬し憎んでいた真備に国と人々の平安を頼んで死ぬ。
これもまさしく、”いわんや悪人をや”であった。

私などこれまで単純に、大仏建立は貴族たち権力者の欲望の象徴、と見ていたところがあって、このドラマで感動をしただけではなくいろいろなことも学んだ。何より、古代も現代も人間の在るところ同じというところにさまざまな感興を覚えた。
いくつものシーンや言葉に感銘を受けたが、みっつだけあげると、大仏建立を手がけた民衆のなかで生きる僧行基笈田ヨシ)が、「道をあやまって仏に近づく」と真備に言うセリフと、大仏建立はお金も労力もかかるので、人々を苦しめることになるから反対だと言う真備に、聖武天皇が、「大きな慈悲は大きな仏に宿る」というような意味の言葉を言われたが、これは霊的な大きさであるとともに、木でも人間の作ったものでも、大きくなる、大きくするなかにはそれだけ、想いや祈りや力がこめられている、という意などであろうか、と考えさせられた。
みっつめは、聖武天皇が僧に建立を頼むと、真備が、お金や時間がどれだけかかるかを調べた上で、「人々は大変な暮らしのなかにいる、とても無理です」という意味のことを行基に同意を求めるようにいうと、行基が、「何かを(大仏)作るのは数字ではなく心です。人々は大変な暮らしではあるが、数字で駄目と決めるもんじゃないですよ」という意を返す。とてもよくわかった。

演出の清潔感にも好感をもった。仲麻呂聖武天皇の后(浅野温子)の関係はややもすると生々しくなるものだと思うが、そのようにならなかったことで、複雑な人間関係がわかりやすくなっていたと思う。
大仏を作る人々が決して無理やり大変な労苦を強いられてるのではなく、自由な心持をもって楽しく労働にあたっている、という演出も意味があると思った。大衆のそれぞれの個を信じている視線だと感じた。

吉岡秀隆は、唐から生還して、一回りたくましくなり、凛として知的で清潔な人間像がより出ていた。