ちょっと深刻な愚痴

口内炎
口内炎が相変わらずつづいていて、なかなか美味しくものが食べられない。
医療に詳しい友人から、口内炎は内臓の不調が原因のことがあるから病院に行ったほうがいい、と言われているのだけど、病院に行く、ということができない。行きたくない。

それにしてもこの口内炎、昨年の今ごろ、筑波大学大学院の学生から介護に関連するアンケートの協力をたのまれて話した時、すでに痛みがひどかったから、一年以上放置しているということだ。


■近きにも 遠きにもありて 春の空
去年の春はこぶしの蕾がいつ開くかと楽しみで、毎日夫の車椅子を押して見にいったものだ。山吹や雪柳や桜の花をもとめて、温かな陽ざしをあびならが、よく歩いた。車椅子を小石に乗り上げるとがたがたとかしぐのを、「おっとっとぉ」と騒がしい声をあげながら。

世界中が春であった。春の空はやさしかった。


■哀しみ
いろいろな色の哀しみがしのんでくる。

夫は晩年、私を母親と思っていたようだった。そのせいだろうか、私の哀しみは、こどもを亡くした親の想いではないだろうか、というものや、天から預かったこどもを天の懐に返したのだ、今は苦痛も孤独もない永遠の深い懐にいるのだ、と思う傍から、どこかで私の助けを待っている、と狂おしい焦りにせきたてられる。かわいそうでならない気持ちなのだ。これも煩悩ということなのだろう。


疲労
単純な疲労のせいだと思うのだけど、どうしてこう眠くて眠くてだるくてだるくてならないのあdろう。夫が生きている頃からこうであった。それが夫の死を早めたと思う気持ちがおこるほど、どうしようもない疲労感が長く続いている。

パソコンを早く正常に使えるようにしなくては、と思いながらそうするまでの過程を考えると、いいや、めんどくさいと諦めてしまう。
やっと使えるようになったプリンターも、また猫が飛び降りて壊してしまったが、焦る気持ちもおきない。不便ではあるのだが、壊れたもんはしょうがない、だ。


放送大学
四月から放送大学で学ぶつもりだった。この選択は心身の疲弊の克服など自分にとって重要なものだった。が、入学金を支払う直前に、継母が、中国の娘さんたち五人を夏に招く、ということがわかって諦めた。夏は放送大学のテスト期間になり学習センターに通うなど忙しくなる。遠来の客のおもてなしをする継母を助けることと両立はとうてい無理だ。そう思って諦めた。

でも、私に継母の望むように力を尽くしてあげることはとうていとうてい無理だ。自分の明日すら見えないほど大変な暮らしをしている。放送大学に入るって、余裕があるからではなくて、心身の生きる手立てを探って見えた選択肢のひとつなのだ。何より三食を二食にすれば得られるほどの費用だというのがいい。


ま、でもなんとかなる。
若い頃は、継母がお金が絶対価値で、そこからしか人を見ず、私の生き方や心根などに一度も心を開いてくれないことが苦痛で苦痛でとうとう病むほど孤独を感じたが、今は、冷静に思うと、私もまた継母に心を開いていなかったことを思う。
明日のことを苦痛と思わず、日をおくろう。きっといいようになる。