供養

夫の葬儀を地域でしなかったことが原因なのか、私たちが”ワケアリ”の事情をかかえた者のように言ってる人がいる、という話が耳に入った。噂ほどいいかげんなものはないので、気にしなければいいとも思うのだが、でもこうした発想の話が流布するのは、ここに二十年間住んであり得ることだ、と思った。
例えばどなたかが離婚をされたとすると、「おばあさんが・・・ナンタラカンタラ」「奥さんが・・・ドウノコウノ」「いや、ご主人が・・・アアシタコウシタ」と当事者の痛みなどどこ吹く風の言をまことしやかにシレリシレリと吹きまわしている人がいるのだ。我が家の犬猫にしたって、うちで産ませてご丁寧に私が捨てている、と吹聴した人もいた。

それらのいずれにも動ぜず自分なりの姿勢を貫いてきたが、”ワケアリ”というのには気が滅入った。ワケアリってなんだろ? おそらくいい話ではあるまい。とにかく、亡くなった夫を卑しめられるのはご免蒙りたい。気持ちの悪い作り話が一人歩きするようになってはあまりにかわいそうだ。
でも弁解してまわるわけにもいかず、どうしたら夫に一番いいかなぁと思案していた。

そして、身近な地域の方を食事に招待して、さりげなく我が家の歴史の見れる写真などを見てもらうのはどうだろう、と考えた。そういえば、供養や法要には食事がつきものである。
四十九日を家族だけで執り行うので、それが終わって三日後に近くの割烹やさんで食事会をすることにし、留守で連絡がつかないお宅以外の地域の十軒近くの皆さんにご都合を伺い全員の方の出席の返事を得た。
これであとは留守だった方への確認と当日を待つだけとなり、皆さんが夫をしのんで下さってワケアリ誤解もとけたら、夫のいい供養になるなぁとほっとしていた。

ところが思わぬ体になってきた。この食事会を準備してはじめて知ったのだが、いつも何かと一緒におわれて仲がいいと思っていた高齢の三人の女性が、実はそうでもなかったとわかる事態が起こったのだ。よくわからないのだが、二人の方が一人の方をあしざまにいって、二人は欠席すると言い出されたのである。
そのあしざまな言は堰を切ったようで、一応主催者になる私は逃げようもなく、はぁはぁと聴いているうちにたちまち胃痛がはじまってしまった。胃痛はいいのだが、ことが悪く流れるようなことになると、その方たちの人間関係が目も当てられない様相になるやもしれず、そうならないようにしなくてはと本当に困惑してしまった。
結局、欠席したいと言われる方にはそれを受け入れ、あとは誰にもよけいなことを言わないで、なんとか静かに食事会を終わらせようと思っているのだが、それにしても、私のすること考えることなんでいつもいつもこんなトホホホ状態になってしまうのか、よほど徳のない自分であることよ、と一層気が滅入ってしまった。

と、そんなところに、別の一人の高齢の女性の方Nさんが、うちに来られて、「病院の予約日だったので出られない」と言われた。この方は、昨日の猫のえさやりトラブルの件に登場した人の地区の方で、何より地域の連帯を重んじる地方のことゆえ、あのアラフォー女性がトラブルを根にもてば、多分親戚筋になられるNさんに影響するだろうと思ったので、病院の予約日といういいわけをそのまま受け入れた。
※茶色の老いた猫は、私の運ぶごはんをじいっといつまでも待っているのではないかとかわいそうでならない。
だが、無理をすると、あの猫の命にかかわるような事態になることが予想されるので、私はもう行かないつもりだ。きっと、第一の森、と呼んでる森の方に来てくれだろう。

私も育ったのは、四国の田舎で、こうした地区のめんどうな人間関係を知らないわけではないのだが、私の生き方にそうしたやっかいは一切影響を受けていないので、ここに来てなんとも生き難い思いである。

どれもこれも、夫の供養を、いわば処世を根元にして行おうとした私の心がけがいけなかったのかなぁ。・・・と自己嫌悪である。でもしかたない。流れのままに、気分の悪いことは最小限にとどめる努力をするしかない。
どうか、夫様、余計なことをしおって、この浅はか者が! と化けて出ないでね。


実はこの日、もうひとつ出来事があった、いや、出来事を私が起こした。供養とは関係ない話なのだが、夫が他界した後、息子が手続きをしておいた方がいいよ、と一覧にしてくれていたのだが、その中に、『葬式代の請求』というものがあった。家族の葬式があった場合、役場から葬式代の補助金が出るらしいのだ。
この件は、年金の変更手続きをした折り、役場の方から、「葬式代が出ますよ」と言われて手続きを終えた。

金額は五万円であった。我が家はある程度あった預貯金が捨てに来られる犬や猫を育てるのにかかって残っていず、夫は生命保険というものに偏見をもっていたので、一切入っていず、おまけに年金は夫が生きていた頃より大幅に減るわけで、でも動物たちにかかるものは変わらずというわけで、暮らしはますます深刻な状態になるであろうと予想される。
だから、葬式代の五万円の補助は大変心強いことであった。

でもこれが一ヶ月を過ぎても何の連絡もない。
そこで1先日、いつ頃いただけるのかと問い合わせた。すると、22日に許可がありており、22日か、少なくとも今月中には、という返事であった。問い合わせた日は22日より数日前だったので、先月の22日にもう許可されているのだ、とほっとして待っていた。なにしろうちの動物家族の食費は夫が生きていた頃、私たち二人の食費の三倍近くかかり、一人になった私の食費で換算すれば五倍にはなる。五万円は、今月末にかかる動物たちの食費としてきっちりあてにしていたのだ。

でも今月の平日の最後の今日、入ってなかったんですね。公的な機関はこういうことはきちんとしていると思っていた私は気になってなりません。気になると、ぜったい腹におさめておけない小人の私、再度問い合わせました。
で、説明に手違いがあっということで、もともと3月に送金になることになっていたとわかり、やれやれ。


とまぁ、こんな身近な出来事でありますが、これらどれもこれも私の生活力のなさを証するだけの話でございます。息子にも言われました。「うちってサ、そう貧乏する家じゃなかったはずだよね」。
「いいえ、貧乏しているのだから、貧乏する家なんです」。とわかったようなわからぬような説明を納得したのか諦めたのか、その後息子は何の連絡もくれません。「これからもっと大変なんだねぇ」といくばくかの生活費を置いていってくれましたから、なかなか出来た息子です。昨年の暮れはボーナスもろくに出なかったそうですのに・・・。


この貴重なお金で、私は四月から大学生します。・・・ちょっと息子の顔を見られません。でも、これだからやってこれたんです。

長々と書きましたが結局、この記事、ソウカツすると、「やけっぱち」って感じですね。