筑波大学

昨日、龍馬の故郷土佐に住む友人から電話。遠距離からいただいた電話で長話をしてしまった。
彼女は私の健康や精神状態を心配してくださっていて、懐深く私のウダウダを聴いてくださる。本当にありがたかった。
そのおかげで、自分のこれからを漠然と考えていたことに自信がおこってきた。
やりたいこと、やらねばと思うことは明確にあるのだが、その過程にする必要なことがあり、それを克服する気力や維持力に自信がなかったし、何をしたらいいか漠然としていたのだ。なにしろ私は努力嫌いなのダワ。


友人と話していて、年齢を考えず、土台を強くする勉強が必要だな、とつくづく思う。ここのところを埋める努力をするのがちょっとしんどかった。自分には年齢的な時間がないのに、悠長なことをやっていられないと。


でもそうやって力を蓄えずにずるずる時間を費やしてしまうのは、絵に描いた餅に惑わされるだけになる。これからの貴重な人生をそう過ごしていいはずがない。


と、いきなり、筑波大学に駆けつけた。単純なんだ。この単純さが深刻な危機をこえさせてくれているのだ。
筑波大学には夫がまだ一人で食べることやトイレのことなど出来ていた頃、科目等履修生になって二年間通ったことがある。
早速本部棟の学務課に。ホームページからわかることなのだが、パソコンの状態が悪いので直接説明を聞くしかなかったのだ。履修したい学科はわかっていて、しかも履修が可能とわかる。必要書類をそろえて申し込み審査に受かればもう四月から通える。

・・・・・が、ウーム、筑波大学の学生に混じって学ぶには、私の頭脳の質が問題だ。立ち塞がる。
時間はあまりあるわけではない。特に経済の問題は大きい。ここの選択を誤りたくなかった。・・・・と考えると、別の可能性を探る必要がある。もうちょっと冷静になろう。

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それはともかく、行きはヨイヨイ帰りはコワイ、の心境であった。
この道は、夫がつきば記念病院や県立医療大学病院に入院していた時に、毎日通った道だった。
帰り、そのことを思い起こし、どうにもならないほど辛くなった。
『ダメダ、こりゃあ、ここは無理だ』と思いすらした。筑波大学はやめようと思ったのには、これが一番の理由だな。仕方ない。