小谷実可子さんの意識

わざわざ書いておくほどのことではないのだけど、一昨日の「ジャーナる!」での、国母選手の服装に関して見えた小谷さんの”オリピック意識”が今もひっかかっている。

彼女は、国母選手に対して、”オリンピックなのに、あんな服装にして・・・”と、最高の権威のオリンピック競技を汚した、といわんばかりの勢いで非難をされた。(と私には見えた)

私もオリンピック競技は最高のことのひとつだと思っていて、ここ二十年ほど前から毎回楽しみにしている。鍛えぬいた力で全身全霊、全力をこめて競技する選手の素晴らしさ、面白さは本当に凄い。最高だ。選手や関係者への敬意も自然にわいてくる。

でも、オリンピックを、「へへー」とひれ伏すものだと思ったことはない。要するに権威としてあがめているのではない、ということだ。

小谷さんの言葉は、オリンピックを権威としており、それに出場した選手は、権威のもとに従うものという意識をもたれているのだな、と感じるものがあった。その上、ご自分を完全に権威の一人とした意識に従っておられるとさえ感じた。
彼女は過去に何回も選手としてオリンピックに出場されてきた方で、ご自分のオリンピックを高い位置に置いていらっしゃるのは当然であろうと思うし、彼女個人がオリンピックを権威としても、神格化されていても、そのこと自体は自由である。かつ彼女個人として、他の選手が、オリンピックを軽く扱かっていると見えることが許せないと腹立たしくなられるのもわかる。そのことはいいのだ。


でも、ひっかかったのは、彼女が、権威としての位置から、服装だけのことで断罪せんとされたように感じた、ということなのである。この人とオリンピックの面白さを共有できないや、この人が腹立てるのは別にいいけど、何様のつもりでいるんだろ、としらけてしまった、ということなのである。


それにしても、国母選手は、思いも寄らない騒ぎになった、と途方にくれておられるのではないだろうか。彼は決してオリンピックを軽く扱ってのことではないだろう、ただ自分の日常感覚の着方をしただけだろう。要するに日常感覚がああいう個性だったということだ。
あの着方がオリンピック規定に反するなら、あるいは品格に照らして不適なら、指導する立場の人が、君が自分の感覚で着たいのはわかるが、制服はきちんと着るんだ、と毅然と注意をすればよかっただけのことを、こうまでグチャグチャにしてしまい、稚拙なのは首脳陣もそうなんじゃないの? <※違いました。首脳陣は冷静に対応されていると思います。グチャグチャにしたのは過度にバッシングしている人たちでしょう>

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
追記
先ほどテレビで、国母選手の最近映像が出ていた。彼はひょうひょうと明るい表情をされていた。『いろいろあらぁな、競技には集中してがんばるよ』とさっぱりとされている感じがした。自由人なんだ。力出し切ってください。