昨日の国会

ジャンプ競技の放送が終わって外のポストから新聞をもってきて読んでいると、昨日の国会で、鳩山首相自民党のヨサノ氏から質問を受けておられた様子を思い出した。
私が見ていた限り、質問は例のお金のことに終始していた。野次もお金にまつわるものがひっきりなしにとんでいた。
首相が母親から受けた多額のお金は、「子分を養うために必要だった」と決め付けた雰囲気があって、そういう決め付けに、私は首相に深く同情した。

もしかしたら、質問者は鳩山首相がそういうことを考えたり言ったりはしない人だとわかっていて、でも国民にそれを印象付けると首相が国民から信頼をされなくなるので、わざと言ってるのかもしれない、と感じた。


なぜそのように感じたかというと、私自身、思いもよらない噂を、友人と思っていた人から発しられて信用をなくしたことがあるからだ。人というものは、悪意や巧妙さの潜んだ言葉に左右されやすい、とその経験で知った。
こうした罠のような穴に一度落ちると、私のような本来非力な甘ったれ人間は、焦りのあまり、穴をほった人間の思うつぼの欠落をあらわにしていき、ますます穴を深くする。そして病んでいく。この決定的に病んだ姿こそ、その人が自分の勝利を確信する時だ。

くもの糸にからめとられたように苦しんでいる私に、その人はいった。
「人はみんな、あなたのことを、○○さんて、そういう人だったんですか、って誹謗している。でも、私だけはわかるわ。あなたは何の計算も欲もなく、ただ懸命にその場の責任をとろうとした純粋な人だって」。

私が全てはこの人の罠からきたものだ、と知ったのは、実はこの言葉からだった。
弱い私は、すでに、わけのわからない光のないものにからめとられたように、そのあがきで多くの罪や失敗をおかして自ら穴をどんどん深くしていたが、この言葉を聞いた瞬間から、失っていた光を、半ば壊れていた目で見つけ、その光を目指して懸命に一歩づつはいあがったのだ。


昨日の国会を思い出しながら、政治の世界はまさにこうした魑魅魍魎が渦巻いてるか、とこの数ヶ月の間に人のいい人とわかった首相に、深く同情したのである。
政治家としてどう判断していいかは正直のところ私にはわからないのだが、ネバネバした執拗なくもの糸にからめとられる苦悩におとられないよう、祈りたい気がする。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

なぜなのか、私はどこのグループや団体に参加しても、この友人と見せかけた人と同じ質の人間に近寄られる。
ある時期まで、その不運を悲しんだが、今は、内部にある私自身が作用しているのだと知るようになった。実際に、自分が思わぬ立場にひきづられた時、焦りのあまり自分を失った言動をしてしまう弱さは、結局は自分の内部の質を露呈させたということだろう、と。

ーーーーーーー私のレベルでは自省することで悪魔を退けやがて真実が見えてくるが、政治という場での”闇の横行”は、とんでもなく複雑なような気がする。何が公正で何が邪か・・・・・・。