家の名義変更にまつわることから見えたこと

夫の死後、息子が、もろもろの変更手続きの要項を一覧表にしてくれている。速やかにやるべき要項には赤線がひいてある。それをひとつづつ済ませてきたのだが、必要な書類を見るだけで「なんだか面倒くさそうだなぁ、いやだなぁ・・・」と気が重いのが家の名義変更である。
「でも、やっておかないといけないんだろうなぁ・・・」と昨日、重い腰をあげて、管轄の法務局「下妻支所」に電話をした。できるだけ滞りなく済ませたいので、行く前に提出書類の確認をしておきたかったからだ。

問い合わせてわかったのだが、この場合、夫の生まれた時から死亡までの詳細が記載された戸籍が必要ということだ。手元に、年金の書き換えに使ったものと同じ謄本があり、そこにも生年月日、父母の名、生まれた場所、何子であるかなど記載されているのでそれでいいのかと思っていたら、それは婚姻以後もとの戸籍を出て新たな戸籍を作ったものだからだめで、新たな戸籍を作る前の詳細が記されたものが必要なのだ、という。
つまり、生まれた時の戸籍は、父母か祖父母の戸籍に入っているはずで、当然きょうだい等の記載もあり、そこからの戸籍が絶対必要条件というのだ。

この件は、本籍地の役所に問い合わせて、昔の手書きで作成していた戸籍があり、費用はそれなりにかかるが全部出せますよ、ということであった。


というわけで、家の名義変更ひとつにもこんな厄介な手続きを辿らねばならないことがわかったのだが、(他にも煩雑な書類がいる)こうした法律ができる理由というのは本当に人間臭い生々しいところから発しているんですね。・・・法律の発生点はみんなそうなのでしょうが。


こうまで手続きが厄介な理由を説明するのに、支所の担当者は、「お宅のご主人が婚姻前にこどもがいたとしたら、そのこも相続人になるわけです。そういうことを明るみにする必要があるわけです」というように説明をした。
この時点で、私は、「なるほど、なるほど! 全部のこどもが公正に財産が分与されるように、なんですね!?」と納得した。我が家はそういうことは天と地がひっくり返ってもないし、また分与する財産もないのでシンプルなもんだが、人間の世界には余人に想像のつかない人生があることもあるだろう。そこに生じるかもかもしれない悲劇をできるだけ少なくし、不幸に泣くようになるかもしれない人間を守るために、さまざまな法律ができたのだなぁと、私は感心すらしたのだったのだ。

ところが担当者は、そんな人権尊重の精神に基づいてできたかどうかなどどうでもいいといわんばかりに、私に限定して、「全部の戸籍が必要なのは、おくさんが財産を独り占めにするかもしれないので、それを防ぐためだ」と言ったのである。
「?????????????????????」の間が過ぎた後、この言い草にモーレツに腹が立った。担当者はわかりやすく言うために言ったに違いないのはわかるが、ここで私はまたまた自分たちが猫や犬をどんなに自己責任で飼うか貰い手をさがしてくれと頼んでもシレーッと置いていき、あげくどうすることもできず掬い育ててきて、奇異にみられる暮らしぶりになっていること、それを見下され私たちのことなら何を言ってもいいと思っている人々に耐え、許してきた何十年もの苦しみを思い起こし、不条理感に堪えがたい気持ちになったのである。(この煩悩は本当に深く、なかなか解脱ができませぬ)

そうなのだ、実際、私たちは全てを投げ出すような暮らしであったのだ。前述の不条理感からの解脱はできてはいないが、だからといって、このことを捨てた人個人を恨んだり攻撃したりはしたことはない。この捨て動物の問題を通して、人間の本質のひとつと日本の社会の一面を知り尽くし、私自身が社会への虚無、人間不信を自分に根付かせてしまったということだ。

「おくさんが独り占めにするかもしれない・・・ナンタラカンタラ」の言葉を聞いたとき、それやこれやの思いがつきあげてきた。言うにことかいて、全部を投げ出して生きてきた人間にいうことか! という憤りのような思いもおこった。そしてすぐに、それらは失意に転じた。
もういい、どうでもいい。

「あのう、名義変更は放っといてもいいんでしょうか?」
「いいですよ。名義変更をしなくてはいけないという法律はないですからね」
「そうなんですか。しなくていいという法律があるんですか」
「しなくていいという法律はありませんが、しなくてはいけない法律もありませんから」
「なるほど、解釈の問題で、しなくていいということですね。わかりました。ではしないでおきましょう」

と、下妻支所では終わったのだが、夫が死んでから、堪え性のたががはずれてきかかっている私、この担当者に一言いってやった。「あなたのような役人を無能と言うんですよ」。ほんとは税金どろぼうと言ってやりたかったね。実際ねちねちとまるで気持ちの悪い三文小説を説明するような言い方をするあの担当者は適任者でないことは確かだ。
もっとも彼は、私に無能といわれて、「長い間この仕事をしているがそう言われたことは一度もない!」とかすれ声でいった。ホラ、無能の証。1000001番目の人間の言った言葉が真実をついていることがあるってことすらわからないんだ。(というと、自分の言葉が1000001番目の真実の言葉、と思っているようにとられそうですが、この件に関してはそうなんですよ。笑)


この後、本籍地の役所に戸籍について名義変更も含めて問い合わせをしたのだが、理知的で要領のいい説明を受けなにもかもあっさりと理解ができた。

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先日、年金や介護保険等のしかるべき手続きのために役場や年金機構に行ったのだが、そこではいずれも簡潔でわかりやすい説明、対応を受け、昔は役所の体質は不快だといわれていたが、最近はそうではないんだと思ったばかりだった。でも、まだまだ自分に従させたい的な意識のお役人がいるのだと知った。
私は電話を切った後、名義変更をしないでいても社会的に不都合はないのかを確認しようともう一度電話をしたのだが、何度かけてもかからなかった。拒否設定をされてるのではないかと疑いをもったくらいだ。これに関してはまさか、ですね。
余談だが、下妻支所ではらちがあかないので、県庁所在地の法務局に電話で同じ問い合わせをしたが、こちらの説明も余計なことを加えずわかりやすかった。
名義変更だが放っておくつもりだ。県庁所在地の法務局では次の変更の手続きが必要になった時、(私が死んで息子が継ぐときとか)もっと厄介になるので、今しておいた方がいい、と断言されたが、あの気色の悪い説明をする担当に対することになると思うとうんざりだ。アウトローをまっとうするベ。


おおー。雪だよ♪