フィギュア バンクーバー冬季五輪代表決まる「落選した中野選手に想いを馳せる」

昨夜の全日本選手権で五輪出場選手が決まった。男子は高橋大輔選手、織田信成選手、小塚崇彦選手。そして注目の女子は、浅田真央選手、安藤美姫選手、鈴木明子選手であった。
見ごたえのある素晴らしい試合だった。わくわくとしながらテレビに釘付けになった。

観るものをもこんなにわくわくとさせてくれた選手の皆さんに心から感謝を!
五輪を決めた六人の方には応援の心からの拍手を!


ただ私は、中野友加里さんのために泣いた。彼女は悲劇のマドンナというしかない。彼女の努力と実力をもってしてもどうしようもない不運につきまとわれた。
鈴木明子選手の演技は誰が見てもひきつけられる強い光があった。だから今回の結果は、公正であったろうと、素人考えながらわかる。
だが四年前の灰色の感覚が、今回中野さんが落選したことで甦ってしまったのだ。
何もわからない私の無知と不遜な言い分であろうと知りながらも言いたい。四年前、中野友加里選手は選ばるべき線をクリアしていたはずだ。それがその線に届かないと見えていた別の選手が選ばれた。その選手の人気や将来性を優先されての結果であった。・・・・・・・と、四年前、私は感じたのだった。


そのように感じている私は、今回の中野選手の落選を前にどんなに無念であろうと思わず涙が込み上げたのだ。
今朝の新聞に、中野選手の談話が載っていた。「こんなにも緊張するのか、というほどの緊張に耐えてきた。この気持ちは四年後まで続かない」と。
「四年後まで続かない」という言葉に、彼女の無念と虚しさの思いがこめられている気がしてあらためて涙が滲んでしまった。


どの世界も、個人、個人の清涼な努力や力が通るとは限らないのだろう。組織のなかの責任ある立場の大人たちの采配にころがされることがあるのだろう。小さな団体やグループや井戸端会議のなかでさえ、真実よりも強い力が発揮するものに流れていくのがこの世というものだ。
その理不尽を背負わされた一人の舞姫。・・・私には中野選手がそう見えてならなかった。


でも、そうした理不尽をものともせず前に前に生きるのがこの世の一流人だ。中野さんは一流だ。きっとまた四年間を耐える力と心を取り戻し、挑戦されるだろう。そう信じているし祈っている。そしてもし、心の変化があって、五輪出場を夢とされず、別の道を選ばれたとしても、それが実力ある中野選手の選ぶべき道であるのだと応援するだろう。
今はかげながら一緒に涙をながしたい。(くやしかったでしょ〜〜〜〜〜〜! くやしいのはとうぜんだよ〜〜〜〜〜〜〜!)