JIN-仁- 最終回

坂の上の雲」を観るつもりだったのだが、今日(20日)は夫の血圧の上下が激しく、また熱も不安定で、定刻に栄養食の注入が出来ず、様子が落ち着くまでテレビ観賞どころではなかった。場合によったら救急車を要請する覚悟でいたが、足元に電気座布団を入れ、手足のマッサージをしているうちに平穏になってきて、本人も「腹がへった」と言い出して注入をする。それが終わったらテレビを観たいと言うので、夫が「JIN-仁-」の再放送を結構熱心に観ていたのを思い出し、最終回が放送されるそれにチャンネルを合わせた。でももう半分ほど進んでいて、結局中途半端な鑑賞になった。


そこでドラマの感想というよりテーマにまつわる印象なのだが、今夜の最終回を観て、介護関連の本によく書かれている、「こどもの誕生と老人の死はつながっている」ということを思った。とともに、「天のもとでは人間の過去と未来はつながっている」ということや、釈迦が「人間は苦しむためにある」と説教をされたということ、親鸞は「その教えのもと衆生の苦しみを慈しまれた」ということなどを思った。
このドラマはそうした真理や哲学を潜めつつ、誕生と死がつながる瑞々しい命の連鎖と人間が苦しみながら解脱していく過程を描いているのだろうか、という気がしたのである。


解脱というと、何も苦しまない唯我独尊の境地に達する意のように聞くことがあるが、私はそうは思わない。それでは苦しみから逃げて己の独善の境地にいるに過ぎない、と思えてならないのだ。ある意味、賎しき存在におちる、とすら思う。
苦しみからの解脱とは、慈愛と洞察に目覚め、そこではじめて全てを受け入れられるのであろうと思う。そういう意味で、釈迦が人間は苦しむために生まれると言われ、親鸞がそれを体感的に悟られたのは、人間の存在を賤しきものとされているのではなく、その逆であり、だからこそ命の尊さも伝わってくるのだ。と私は私なりに思う。


JIN-仁-」の原作はどういう人が書いたのだろう。ここまで人間を卑しめず貶めず、さりとて無意味な唯我独尊におちずこんな面白い物語を書ける人はどんな人なのだろう、凄いなぁと思う。
そして出演者の一人一人が魅力的で感動した。
綾瀬はるかは、古今東西に通じる美女ですね。これから大人の女優になられるのでしょうが今後の活躍を期待したいです。