アンタッチャブル 最終回

金曜日の夜の九時はなぜか要介護者が落ち着かないことが多く、連続もののこのドラマきちんと観ていないので、感想の書きようもないのだが、最終回を観終わって思ったことは、「怪人二十面相みたいだったな」。


怪人二十面相は、犯人が何人もの顔を持ち犯罪を犯すのでその点は違うのだが、でも、怪人二十面相が誰も自分と同じ要素をもっているという上において他の人間に容易に成り代われた、とするなら、アンタッチャブルで誰もが怪しく見えたのは、やはり誰もがこの犯人に成り得る要素をもつ、という意味があったのではないだろうか。


実際、現実の社会の中で、バーチャル以上の出来事がつぎつぎ起こっていて、いずれも彼ら犯人たちが特別な存在なんだ、だから凶悪なことをするのだ、とは言い切れない、懸命に生きようとすればするほど、耐えがたい悲しみに突き落とされる現実があるのだ。
そいう意味で、誰もが怪人になる危うさがあるということだ。


そんな危うさを、主人公の遼子こと仲間由紀恵、佐藤智弘たちみんなよく出していたと思う。
犯人役の彼の翳など、ラストのメリークリスマスの声の響きととともに怖いというより悲しかった。