結婚詐欺・連続殺人を疑われている女性

ニュースで見るたびに戦慄するが、よくよく考えると、人間誰しも自分の価値観や利益の範疇で他者を求めているんですね。お金や名声があるときには人が寄ってくるが、一度凋落すると潮が引くように誰も相手にしてくれなくなる、という話はよく聞く。
これらは自分の都合や価値観にあわせた狭い範疇で人間関係を求めているという上で、しかも点数が合わなければ豹変したりするだろうから、この世界の人間と人間の求めつながる形なんて、結婚詐欺となんら変わらない場合も結構多い、という気がするのだ。
こうした自分の都合や利益にあわせて人を求める場合、醜悪な噂などを捏造してばらまいたり、いわば魂の殺人をしている人はいるよ。ほんとに多いよ。残念だがこの人間の性癖は、教養などでは自律できない。案外自分の立場や名誉をそうやって必死に守っているのが実状、とすらいえなくもない。そのくらい多い。

猫や犬を無垢だと言う人がいるが、とんでもないゼ。彼らは彼らで必死で生きている。ウソもつくし、飼い主の目を盗んでいじめもやる。私は時々、「おー、人間とかわらんのぉ」と感心する。
(※表題の女性の事件はあまりに極端でまた多くの被害者の方が出ておられるので、特別ではあろうと思うが)


聖人と言われる人たちに関わる書物を読んで思うのだけど、イエスは別にして、他の聖人たちは、他者の悪などはたいしたことではなく、こうした生命あるもの誰しもがもってる己の内との闘いこそ生きながら地獄にいるような苦しみだったんだろうな、と思う。この世は無自覚で生きるものには天国で、目覚めるものには地獄だと。でも目覚めなくして本当の天の国はない。聖人たちは果敢に逃げずに生き抜かれたに違いない。私が強烈に惹かれるのはそこだ。現代人が作り上げたもっともらしい表面的な清い言葉などはいらない。


あれ? 何を言いたかったのかわからなくなってしまった。ようするに、あの女性も自分も聖人も、多分、天の下では線でつながっているんだろうと。