ドア・・・・・介護の問題

昨日何かの番組で介護について語っていた。自身も脳梗塞から認知症になった母親を介護しているという歌手が出演されていた。そういえばこの歌手は介護のCMにも出ておられる。
このAさんが、意見を求められるとそのたびに言っておられたのが、「自分だけでやろうとしてはダメ、隣りの家にもドアがあるんやから、ドアを開けて手伝ってもらうんや」みたいなことであった。


なるほど、たしかに隣りにも先隣りにも向かいにも自転車で行った先にも家はくさるほどあるし、家のあるところくさるほどドアはある。
でも、問題は、『心のドア』よね。
このドア、どんな曲者がひそんでいるかわからないゼ。
ホラ、私なんて、私の心のドアの内で、あなたの言葉を聞いて、「アホか。勝手に介護やってろ」とつぶやいてるダス。


そういえば昨日、夫の兄からFAXが入った。自分の知人の家族の方の例やそのほかの情報をもとに、私に、あれをやってみたら、あれがいいらしいよ、と書いてある。
夫を心配しての善意と兄弟愛と重々わかりまするが、私、狭い心のドアの内で、「ンるせー! 夫の状態に合わせて必要だと思うことはせいいっぱいやってんだよーっ!」とわめきましたゾ。その後、気分が沈んで沈んでホント、死にたくなったっす。どうしてくれる!


介護でも動物問題でも(ナンデここに動物問題がでるっす?)、特に地方の村社会では、どんな論理も理想も建前も幻想っす。でも個人個人の善意が基本にあることは間違いないっす。それを信じてにこにこにこにこと生きるしかないっすよ。・・・この綱渡りのひもが切れたら自分の死を意味する。余人と少し違う感覚やプレッシャーを抱えて生きるものは、まこと人生は綱渡りです。日本の社会、世間はそれだけ狭いってことでもあるんですよ。自分のみみっちい成功やせこい管理者の評価に優越にひたってるのは恥なんだよ。


あ、相当機嫌ワリイ。ほんとのこと言っちゃったヨ。ま、たまには本性出させてくれ。・・・ね、よそんちのドアを開けるのって、怖くないっすか? 開けられるよりも。・・・ようするに介護の核っちゅうのはそういう次元で考えてたらますます井の中の蛙状態になるってこと。これを脱する必要があるんですよ。それには国や自治体の意識を高め、洞察を確かにするきちんとした対峙と行動が絶対的に必要ですよ。


民主党は行動しているけれど、介護実態の見直しまではできないでしょうね。せめて、既成の指導者に向き合うのではなく、これまで黙していた何の権力ももたない現場の人に向き合ってほしい。動物問題も同じく。(あ、また関係ないこと出しちゃった)