批判する者も問われる

昨夜、新政権に対するもやもやを吐き出してつくづく思ったのは、批判する側もまた問われるということ。
自分を問わず他者を批判する小人である虚しさにいつまでも留まっていてはならないということ。
かといって妙な擬似達観姿勢でものを言うのは貧相過ぎるということ。


そんなことを心しつつ前の記事に書いた動物関連の活動について、私の思いを書いておきたい。

”シンプルであれ”・・・これだけだ。愛護運動をビジネスにしてしまった人を批判したり告発したりするつもりはない。ただ動物行政と、保護・愛護運動をビジネスにしたり社会的立場をそれで得ようとするあまりに運動そのものや動物たちの生きる意味を複雑怪奇にしてしまった人たちにみこと言いたい。
命というもの、生きるというものはもともとシンプルなことであること。
動物保護・愛護運動に限らず、運動や活動は、特定の団体のためにするものではないというこれもシンプルであること。
そして、あなた方が一見もっともらしいが実は冷酷な自己中心な論理をもって孤立させ追い詰めたことがあった懸命に捨てられた生き物の命と生きることを支えようとした人たちをいつまで排他しようとしたら気が済むのか、ということ。(自分の論理や運動に同調しないもののところに、犬や猫を捨てさせようとするなどもってのほかですヨ)

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今回の政権交代を機に、これまで言葉すら封じられ抑え付けられていた個人個人が、心が感じることを発する力を自分に感じるようになるのかもしれない。そんな気がする。
だとしたらなおのこと、批判する己を問う勇気ももたねばね。