めし食おう=ゼリーを3匙、は奇跡に等しい

午後5時から夫の夕食の注入がはじまる。場所は食堂の隣りのリビングのようなスペースである。テレビがあって、他の患者さんも殆ど集まり食事の支度が整うのを待ちながらテレビ観賞をしている。
6時前になって食卓が整うと、看護しさんが「食事ですよぉ」とテレビを観ている人たちに呼びかけると、皆さんそれぞれに食堂に移動される。

夫ともう一人注入をしている方が、リビングスペースに残っている。注入が終わってもしばらくそのままテレビを観ていることが多い。
今日のことだ。いつものようにテレビを観ていたのだが、夫の様子がなんとなくいつもと違う。車椅子から立ち上がろうとしているように見えるし、顔をキョロキョロさせて落ち着かない。
「なんかしたいの?」と声をかけた。すると夫は、私の方を見て、「めし食おう、みんな食べてる」とはっきり言った。
「あなたの食事は終わったのよ、胃のところに管で栄養を入れたでしょ。あれが食事なのよ、口から食べると肺に入って肺炎になる恐れがあるから、こういうようにして肺炎を起こさないようにしてるのよ」と説明をすると、なんとも情けなさそうな表情になり、「そんなことないよ、食べるよ」と言った。


今日、嚥下の状態を見るレントゲン検査等があったのだが、やはり嚥下能力はよくないとのことで、「リスクは多少ありますが、ゼリー等を3匙ほど食べることはできるかもしれなせん」と先生から説明があり、それにトライするつもりである。
ここまできたのはスゴイ成果である。寝たきりで死を待つ、という状態になるところだったのだ。そうしないために転院を希望し、三回の面談をしてやっとここまでこぎつけた。
ゼリーを3匙、は夫と私にとっては奇跡に等しい。

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ただ弱音を吐くと、私自身の疲労感と体調の悪さにはお手上げ。ちょっとしたことで気持ちの落ち込みも激しく参ってしまう。こうした私の状態をソーシャルワーカーさんが心配して、精神科の女医先生を紹介してくださり受診ということで数日前にお会いしたのだが、これが裏目に出て胃腸が一気に悪くなるほど気分が沈んだのだ。

私自身がどうしてもこの医師に心を開けず(もちろんそれなりの理由と私の言い分はあるのだが)、会ってすぐに、この選択は失敗だった、よせばよかった、なんだこの人は・・・などなど感じてしまったのだからうまくいくはずがないよね。あとはさんざん(さんざんは言い過ぎか。そうは言ってない)失礼なことを言い放ってしまった。
ソーシャルワーカーさんには謝罪したい。すみませんでした。
ほんとは会って謝るべきかもしれないのだが、この日のことは早く忘れたいので・・・。


10日追記:それにしても、私の率直な感想だが、精神医学って『狭い』。もちろんたまたまだろうが、私などよりもっともっと生き辛さに苦しんでいる人に今回私が体験した狭さのような容量で対するとしたら、それは残酷だなぁとすら思ったよ。目の前の苦しんでいる人の人生に敬意のかけらもないってのはどういうことだろ。患者の感情に引きづられないのは当然だし、あくまで冷静でいることは重要だろうけど、でも冷静っていうのは、患者の人権や思いを疎外するってことじゃないしね。これらを多分自覚されていないだろうだけに、医師のボーダーラインこそ問題じゃないかなとも思った。

やっぱ言い過ぎかな・・・。