清水由貴子さんの死

愛らしい温かい笑顔が記憶にあるタレントの清水由貴子さんが、お父様の墓前で、車椅子のお母様を傍らにして亡くなられていたというニュースをテレビで見ながら泣いている。


目も身体も不自由でいらっしゃるお母様のそばで、硫化水素の入ったビニール袋を頭にかぶる由貴子さんと、おそらく目には見えなくても由貴子さんが苦しむ様を全身全霊で感じて慄いておられただろうお母様のことを想うと、この世は地獄以外のどこでもないという恐ろしい悲しさに突き落とされる。
気の毒でどうしようもない。ここまで追い詰められたお気持ちは、死の瞬間の苦しみよりもっともっと深く重くお辛かったであろう。そのことが気の毒で気の毒でどうしようもないのだ。


落合恵子さんが、「清水さんが出していたはずのSOSを、まず国が感じ取ってほしい」と言われていたが本当にそうだ。
私自身の、夫の介護の10年間(軽い間を含めると20年間)と、ペットを捨て続ける人と、動物指導の制度に携わる人々の方向違いに苦しめ続けられてきた30年間のことが、今更に蘇り、私は今、怒りの矛先を国・自治体・指導的立場の人たちに向けている。介護の問題と動物問題を同じにして、と思う人がいるとしたら、それはそう思う人が何もわかってないからだ。自分では何もいえない存在を苦しめる問題は、対象が何であるかは関係ない。為政者、施政者側の意識と行動力と”魂”の問題だ。彼らの殆どは、一番苦しんでいる当事者を無視し、適当に自己満足できるレベルのところで決め、実行をしている。そのことが、一番苦しんでいる当事者をより追い詰めることになっていることなど知らん顔で。この実態が悲しい。ただただ悲しい。


清水さんの痛ましい覚悟と死を、どうかどうか無駄にしないでください!