夫の胃ろうのこと & 歎異抄

■昨日、いつも散歩と称してテレビをみるホールの大掃除だったので、私と夫は、外来の待合室を目指していた。前から来られた看護師さんが、私たちは見ると、そうそうという感じで、「医療大学から電話があったんですけど、検査は24日以降らしいですね」と言われた。
「そうらしいんです。それで、胃ろうの方はいつ頃になるでしょうね?」
「東京から来られる専門の先生の都合で、早くて21日らしいですよ」
「21日? 胃ろうを21日にやって、24日に阿見の医療大学まで連れていって大丈夫でしょうか? 遠いですが」
「ああ、それは無理ですね」
「・・・・・・・・・・・」
私は『じゃ検査はできないんだろうか・・・』と心細い気持ちがおきた。
私のその沈黙を察して、看護師さんが、「胃ろうは検査の後で行う、ということもできますから大丈夫ですよ」と言って下さった。


ほんとに嬉しくほっとした。もしかしたら、検査になんでそんなに固執するのだ、と思われているかも知れないのだが、夫の残された人生、口から食べる可能性があるならそのように努力して、たとえおやつていどのわずかのものでも、毎日口から食べるようになる、ということは、本当に本当に本当に本当に本当に、重要な貴重なことに思えるのだ。


この私の願いが、いろいろ手数をかけているのだなぁと申し訳ない気持ちがする。
でも病院は嫌な顔をされず、望み通りに対応して下さる。そのことに本当に心から感謝している。昨年の暮れ近く、当時入院していた病院から逃げるように強制退院した時の恐ろしい緊迫感からも救われた。そのことの感謝もいっぱいである。


■昨日、古河市(多分古河市)にある浄土真宗の寺に行った。この寺は、以前に眞理子さんに、「寺をさがしている」と言ったら、「私の知ってるご住職の寺がある」と教えて下さったところだ。
この時、「その住職は現代の親鸞と呼ばれている」と言われた。
私はそれを聞いて、眞理子さんには本当に申し訳ないのだが、かえってひいてしまったのだ。
世間の人の、”善”に関する評価は、えてして世間一般の心地よい善に過ぎないことを知っているからだ。
神仏に関わるところにおいての”善”は、時として、世間を敵にまわすことになることもあるのが当たり前だ。私はそうした生き方を普通に生きている寺を求めていた。


そんなこんなで、眞理子さんに薦められながらも、その寺に近寄らなかったのだが、昨日、午前中の夫の付き添いのあと家に帰ろうとして車に乗ったとたん、『眞理子さんが言われていたお寺に行ってみよう』と思った。瞬間的にわいたその気持ちのまま寺に行ったのだが、この時は、寺で行われる勉強会の予定をみて、都合があえば思い切って出てみよう、という程度の気持ちだった。
それで、寺の駐車場のわきに立っている掲示板をのぞいていた。
すると、一人の高齢の男性が声をかけてこられた。

「勉強会に来たんですか?」
「あ、ああ、まぁ・・・・・・」と私は返事につまった。
「これからはじまるんですよ。入りましょう」
「私は、檀家でもなく、ご連絡もしていず、はじめてなんですがいいんでしょうか?」
「いいんじゃないですか。私もはじめてなんですよ。さ、行きましょう」とその人は屈託ない。


優柔不断の私はそのままずるずるを入ってしまった。
こういう経緯で、お寺で開かれている勉強会に行った。


明るい老人クラブのような雰囲気の勉強会だった。
ご住職はさっぱりとした裏表のないお人柄と感じた。突然の闖入者のような私にそれとなく気遣いしてくださりながら、親鸞の人生を書いた教本をもとにお話をされた。
私はここで歎異抄を学んでみようと思った。歎異抄の勉強会が、月に一度開かれているのを、掲示板からわかっていた。
帰りがけに、そのことをお願いしたら、歎異抄の本を二冊下さった。私は歎異抄を持っているのだが、喜んでいただいた。


なにか、「いい春になった」という気がした。

(註:なんだか本をいただいたことを喜んで、「いい春になった」と言ってるような書き方だなぁ。たしかに本をいただいたのは有り難かったけれど、いい春になったのは、誰かに何かに背中をおされてこのお寺に辿り着いた、そのことは私には本当に嬉しいことであるのだ。・・・言わずもがなだけども)