リハビリ病院への転院に関わる

昨日、転院願いを出していた病院から返事がきた。
ダメだった。


仕方がない。
でも諦めない。ネットの検索で、『この病院に行ってみよう』と思う病院があった。
未熟児として生まれてすぐにある手術をし、その失敗で重い障害をもち、6年の短い生涯を終えたYっくん。あのYっくんが最期を迎えた病院。


Yっくんが2歳から5歳の3年間、リハビリの手伝いのボランティアをした。
ある時期には、水戸近くにある療養センターに私がYっくんを連れて行き、そこでリハビリを受けた。
Yっくんは、一度も寝返りさえできず、お母さんを「ママ」と呼べず、当然私に笑いかけることもなかったが、私はYっくんが、日々に成長していることを感じていた。だから、水戸まで行く行き帰り、車の中で、いろいろなことを話しかけ、歌を歌い、リハビリが終わってからは、「Yっくん、えらかったね〜、よくがまんしたね〜、すごいね〜」とほめまくった。


Yっくんにはそれが伝わっていた。
あの子が亡くなって葬儀の日、斎場は初夏の新緑が輝き満ちていた。その葉陰の枝に止まって、Yっくんが、泣き崩れておられた母親に、「ママ・・・ママ・・・ぼくはここにいるよ、泣かないでよ」と微笑んで、それから、私にも、「や、へたな歌だったネ」と手を振っているのを感じたのだ。


私が昨日ネットで見つけた病院は、あのYっくんが亡くなったところであった。
電話を受けて下さった病院の相談員の話では、夫のような経緯のものは、受け入れの可能性は少なそうだった。
でも、試みてみようと決心した。
夫がもとの何でも食べ、自力で歩いて暮らせるようになる、などという妄想はもっていない。でも、嚥下障害のリハビリをさせたい。それによって、たとえ僅かの時間であっても、ペースト状のものであっても、また口から食べられるようになる、という意味は大きい。深い。歩くことを手助けし、食べることを手助けする、この日々を持ちたいのだ。もし家族が、こうした日々を諦めたら、「寝たきりという放置」になる。人生の最後を、そのように送らせたくない。最後の最後は寝たきりになる日がくるのだろうし、それを受け入れるだろう。だが、夫はまだその時期ではない、と確信するものがあるのだ。