犀の角ー「ぶたの一声 & 矢玉四郎はれぶたのぶたごや」より

矢玉四郎さんが、「犀の角」という「釈尊(お釈迦様)の基本メッセージ」を出していらっしゃいます。
矢玉さんは、知識がないと理解は難しい、という意味のことを書かれていますが、私はそれにはちょっと疑問。台風の後の川に入ればその強い流れを全身に受け、春の小川であればその柔らかな流れを受ける、というような感覚にまかせています。・・・という読み方をしています。
遠くお釈迦様が座しておられる川と直接つながった流れが来ているように感じることがある。

犀の角の一部http://homepage3.nifty.com/harebuta/sainotuno.htmです。 
諸行無常」「諸法無我」は釈尊が到達した考えを表したものだ。
 すべての形成されたものは無常であり、変化してゆくという意味の「諸行無常」は平家物語の冒頭にも登場し、釈尊の教えがしっかりと日本に伝わっていたことがわかる。
 だが、しばしば無情と混同されているきらいがある。無情は憐憫や同情を求めて得られないときに使う言葉であって、釈尊の教えとは関係がない。一方無常の具体例として浄土真宗の御文章に「朝に紅顔夕べに白骨」があるが、これこそ無情であり冷たいではないかという印象を持つ人もいるだろう。
 釈尊は死者が出るのはあたりまえのことであり、嘆くな、嘆いても苦しみがますばかりだと、いわれている。        
 過ぎ去った過去は捨てよというのが釈尊の教えだ。庶民の感情からすれば過激なものといえる。後世の教団ではこのことをはっきりといわずに、死者の思い出を守り供養するという、世間一般に合わせたところもある。
諸法無我」という言葉は難解であり、後世につくられたもののようだが、釈尊は「自分が所有するということに執着すると苦しくなる」と説く。我欲を捨てて「わがもの」という観念を無くせば楽になるといっている。
 釈尊は「中道」「縁起」などの考え方で、清浄行によって悟りへと向かう道を示されている。

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