病院にて テレビ番組「水俣病」

最近、病院から帰って最低限の必要なことを終え、自分が食事が摂る頃には眠くてならなくなり、何も考えずに横になってしまうことが多い。そうして明け方に目覚め、しばらくパソコンに向かう。
今日もつい先ほど、4時半前に目覚めた。


テレビをつけると、FNSドキュメンタリ−大賞推薦との新潟の水俣病に認定された患者さんの番組が放送されていた。ほんのちょっとしか観れなかったのだが、認定された患者さんのもとには、日に数本のいやがらせの電話が入るという。だから、取材はもうこれで終わりにして欲しい、と。
番組は、どのような偏見、差別があるかを追って、顔を出さない形で、別の人々にインタビューをしているのだが、その人たちは、明らかに、水俣病に認定された人たちを、まるでお金欲しさに嘘をついて認定されたのだ、というようなニュアンスで答えていた。私の受けた感じでは、その人たちは、その言動が、認定された人を中傷誹謗をしているものではなく、正義としてされている、と見えた。


「・・・・・・・・世界から戦争はなくならない」「・・・・・・・・・人殺しもなくならない」「戦争も人殺しも、こうやって自分たちが生んでいるのだなぁ・・・・・・・・・」


水俣病に限らず、このような決め付けを公然としてはばからず、何らかの被害で苦しむ人をより苦しめる事態にしている人たちが結構多くいるのを、報道や当事者から直接聞くことで知っている。
そのたびに苦しい。悲しい。


生活費の確保のために、お金を得られると知って、嘘の陳情をした人はもしかしたら実際におられたかも知れない。だからといって、人はなぜこうも、その視点からしか人を見られなくなってしまうのだろう。
人の不幸も、当然の補償も、関わりのない者が、歪曲してしまう世の中が本当に悲しい。