哀しい秋 寂しい秋

緒形拳さんが亡くなった。心に残る映画やドラマのシーンが走馬灯のように蘇る。とりわけ、「砂の器」で、あの親子が神社だったかの床下に逃げ込み潜んでいるのを見つけた時の、あの<視線>。
あのシーンの緒形拳の目には、<真実なる慈悲の魂>があった。


王監督が引退された。野球の好きだった父のおともで、後楽園球場に何度か行った。父が王の大贔屓であったことは、王選手がバッターボックスに立つたびに嫌でもわかった。父は身を乗り出し、目を輝かせていた。
思えば、父が「野球に行こう」と言ったのは、「王選手を応援に行こう」ということだったのだ。


■力士、斉藤たかしくん(時津風部屋序ノ口力士、時太山、事件当時17歳)を殺した兄弟子三人の裁判のニュースを見て、あらためて思った。親方は、たかしくんだけでなく、三人の若者をも殺したと同じだと。

国技という伝統の壁にしきられた相撲界の中で、部屋の親方の絶対的な権力は想像以上のものがあるだろう。その権力にたてつくのは、並の人間にできるはずがない。まして弟子の立場の若者に。


裁判の証人には、暴行の場面を見た人もいたようだが、警察に通報することはできなかったのだろうか、と思う気持ちがわいてきて仕方がない。・・・もしそうしたとしても、警官が言いくるめられて何もしないで帰ったかもしれないとも。
この時の少年の苦痛と絶望が痛ましくてならない。

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戦場で上官の命令に抵抗できない、と同じ[世界になっている『群れ』はいたるところにある。愛や平和や人権や優しさなどなどの言葉の氾濫するところこそそうなっている場合がある。・・・でも、そうなることを恐れて何もしない者よりも、果敢に行動していく人に幸あれ、と思うよ。

私のような傷つくことを恐れるプチ世捨て人こそ哀しい。寂しい。