力士の大麻事件―解雇は重過ぎる。

若鵬が解雇になった時から、『厳罰は当然だが、解雇は重過ぎるのではないか、出場停止処分などで、やり直しの機会を与えてあげられないのだろうか』と感じていた。

ワイド番組などによると、二人の兄弟力士は嘘をついていたから解雇処分に値するだろう、というニュアンスであるが、たいていの人は、罪がばれる時にはあがくものだ。若鵬の解雇があった後であり、なんとかしたいという必死の嘘であったのだろう。
そうしたこと自体が許せないのだ、解雇は当然だ、という意見が大筋なのだろうが、私には、相撲協会の今回の処分は、こうやって自分たちの保身をはかっている、と感じるものがある。三人を解雇しないと、世間が許さない、協会の権威を保つには、世の中の流れに従うしかない、という姿勢である。

こうした姿勢は一見正しいと見えるが、根底に保身が潜むものが第一義になっていく社会は、むしろ真の正義を失っていくだろう。
あの力士三人の甘えや、相撲に対するいいかげんさのようなものは、本当に腹立たしいものであるし、相撲に関わる人たちやファンが許しがたいと思われるのは当然だと思うが、人間(特に若者)のあやまちや失敗を受け止めて、立ち直り、やり直しの機会を残し、正しい道に導くことこそ必要ではないか、と思えてならない。

そんなことを思っていたところに、PJニュースで、↓のような記事を見た。

大麻問題に「待った!」 ―大相撲大麻事件にみる日本社会の未熟さ
http://news.livedoor.com/article/detail/3810859/

これによると、ロシアでは、大麻に対する認識が日本とは違うという。
だから許せ、というのではなく、異国で相撲という厳しい道に挑んだ若者の孤独が、身についていた自国の習慣や認識が大麻に手を出させてしまった、そうした弱さに忍び込んだ結果の今回の罪を、なんとか立ち直りの機会を残す形に罰して、今後はより厳しく導くようにできないだろうか、と思えてならないのだ。

何か今回の顛末を見ると、罪を犯した若い外国人の相撲取りの罰に比べて、指導者の親方はずいぶん許された罰で済んでいるなぁ、と感じる。これが不満というのではない。親方たちの功績やこれまでの相撲人生を考えたら、これ以上の傷をつけないのは当然と思う。だからこそ、親方の相撲人生に救いを残したように、これからの相撲取りの相撲人生の活路を絶たないでいて欲しい、と思うのだ。