重圧=夫の入院その後 & 捨て犬か迷い犬か

夫の状態は入院してからすぐに、苦しそうだった呼吸も楽そうになり、熱も下がり、顔色もよくなり、『やっぱり入院してよかった』と安堵している。
だがそれらは、点滴治療や酸素吸入措置が続いている上でのことで、実際には基本的な健康を取り戻しているわけではないのだろう。
そんな不安を含めながら、もうひとつの気がかり、このまま寝たきりにしていて大丈夫かな、という不安がふくらんでくる。
そして、入院した時にいつものことだが、夫は点滴の針をぬいたり、ベッドの柵をはずしたり、床に降りようとしたり、看護師さんに、「しないで下さいね」と言われたことをことごとく破ろうとするのだ。そのことで、看護師さんの仕事を妨げ、心労を重くしている。
それで私は一日の殆どを病室についていることになる。
夫の介護を重圧と言っては何だが、本音を吐露すると、こうした暮らしが十年以上を越える今、とても疲れて辛く感じている。


重圧は、犬や猫が多いことにもある。
特に、夫の状態がこのような中、十匹以上の犬の散歩を毎日しておくことの疲労は言葉に尽くせぬ。でも犬たちは散歩が命だ。それをしてやらないことは、子供を座敷牢に入れて育てるに等しい残酷で非道なことなのだ。


我が家の場合、犬の散歩に、実はとても気をつかわなくてはならないことがある。近所の方から、その家の車がある間は、犬を騒がせないでくれ、と言われており、そのお宅の車のない時にあわせてしなくてはならないことだ。
自分の都合に合わせられるならそう大変でないことも、他者の都合に常に合わせて気遣いながらするというのは、疲労が何倍にも重くなる。そうした暮らしを何年も何年も何年もやってきた。
それはそれで自分のするべきことと、ネガティブにならずに暢気にやってきた。


でも、自己抑制は積み重なっているわけで、今回の夫の入院で、自分のこの日常そのものの重圧感は一気に増してきた。おまけに、長男の状態がよくなく、ある意味では、このことへの心労こそ深く、夜が明けるのが不思議なほどの重苦しい日々となっている。


こんな中に、昨日、「おねがいだからもおかんべんしてよ!!!」と悲鳴をあげたくなることが勃発した。
一本のメールが入ったのだ。
「うちの庭に、捨て犬らしい犬がいつきました。役場に通報して連れていってもらおうと思っています」
道路を挟んだ向こう側の住宅のお宅からだ。
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その犬はおそらく人間の年でいえば中学生になったばかりというところだろう。
そのお宅の庭の雑草に隠れるようにして蹲っていた。私がのぞくと、警戒するように立ち上がり目に不安の色をはしらせた。「だいじょうぶだよ、こわくないよ、かならず助けるよ」と声に出して手を差し伸べると、犬は、おそるおそる鼻面をのばしてきた。その鼻面を、人差し指で、ホリホリとかくようになぜると、犬は表情をぱあっと穏やかな明るい色にかえた。

オスで首輪はなかった。が、飼い犬であったことは、すぐに警戒心をといたことでわかる。だが首輪もせず、庭に自由に飼われていたのだろう。首輪のあともついていなかった。オスなので、メスを探して迷ったか、あるいは、大きくなって手におえなくなって捨てられたか。


しばらくそのお宅に預かってもらい、私が新しい飼い主を見つけることになった。


今朝、目が覚めた瞬間、この犬のことが一番の重圧になっていることがわかった。
こんな暮らしが三十年になろうとしている。私や私の家族の普通の暮らしを、私から奪い尽くしたのは、犬や猫ではない。無責任で身勝手な人間だ。そして、私の家族から、平安と人生のある部分を奪い尽くし、傷つけたのは、私だ。
このことの悲しみで、今朝、布団をかぶって泣きつづけた。


でも、大丈夫だ。これまでこうやって生きてきた。怒りや皮肉をあらわにしたことはあったが、言い訳も人のせいにもせず生きてきた。こうした人生を、多くの人にばかにされ、見下され、偽善者からはいい気なもんの無理解を押し付けらてきたけれど、いつだってゆうゆうとのうのうと生きてきたよ。ここで力尽きるわけにはいかないじゃないか。ま・・・