山本モナさんの件について

山本モナさんのことは、ファンということではなく、これまで無関心な方だったのになぜこんなに気になるかというと、こうした噂の多くが真実とほど遠いことがあるのを知っているからだ。


何年か前、あるグループというか団体で、活躍の目立つ女性が次々と異性関係の風聞を立てられていた。
それが全くの嘘っぱちだとわかったのは、やがて私自身が標的になったからだ。私は目立った活躍をしたわけではなかったが、どこか人の反発や見下し根性を誘う社会性の未熟があったからだろう。(お調子やであるとか独善であるとか)
グループの中のある人、その人も噂の対象になっていた人だが、から電話があって、「高齢で容姿もろくでもないのに、関係があるって噂よ」と言われた時、私は自分でろくでもない容姿と思っていないので、「そうなの? ぜんぜんわからない」とすまして答えたのだが、後に、ある経緯からそれが自分のことを言われたとわかりその人に今度はこちらから電話をして言った。「あれって、私のことだったの?」。私はそんなそれこそろくでもない噂を立てられているということより、自分が高齢でろくでもない容姿、と言われたことに頭にきていた。
その人は、電話の向こうでいかにもうろたえている風に、「ち、ちがうわよ、評論家の○○さんのことよ」と別の人物の名前を挙げた。私はそれで納得したから、ひどいでしょ。噂ってこういうもんなんじゃないかな。


それにしてもまったく、クダラネー時代だった。全部自分の優柔不断が招いたものだった。私は人に誘われると、自分が必要とされてると思って断れない。そのグループに入ったのもそうだった。それと並列して入っていたサークルもそうだった。入ってみると、その枠がキュウキュウしている感覚があってすぐにやめたりした。すると、自分たちを利用したと言い立てていたらしい。・・・結局人間って自分を中心に考えるから、思わぬことをする人間を、自分の枠内で理解しようとするもんだ。勿論私もそうだ。・・・とそれをわかっていると、自分に立てられた風聞も仕方ないや、と思うことが多いのだが、言動の殆どを異性関係や利害関係にからめて決め付けられるのは許しがたいと思うほど不本意だったしいやだった。言っておくが、違うゾ!・・・と当時はそれすらも言えなかった、言うすべを知らなかったので深刻な欝にはいってしまった。


欝の中で、結局自分の優柔不断や未熟が悪いのだ、と自分がわかってきたのだが、でも、自分に責任がある、とするのは一見美徳なようでそうではない。むしろ自信のなさや諦めや、今の言葉で言えば、負け犬のナントカであろうと思う。

などなどの自分の経緯もからめて山本モナさんの件を考えると、彼女の”自由さ”を私たちや私たちの日常は受け入れないんではないか、という気がする。

今日(11日)のラジオで、宮台真司さんが、最初はモナさんを、「素直ないい子だから・・・」といった言い方をされていたが、最終的には、「前の騒ぎでホサレテいたのを救った人や、今回のサキヨミに押した人たち、そういう仕事関係の上で裏切りをした」「多くの人が批判するのもそこだろう」と言われた。
私は、仕事上の人たちに迷惑をかけた軽率さはなるほどどんな批判を受けても当然だと理解したが、多くの人がそのことで批判をしたとは思えなかった。

2時台のホンジャマカの一人の人(思い出した、恵さん。最近何事にも物忘れがひどくて)が司会をしているワイド番組で、コメンテーターらしい女性が、モナさんのことを中傷めいた匂いをプンプンさせて悪く言ってたけど、そこに仕事関係の上での不始末、ととらえた雰囲気はなかった。とても心地よさそうにモナさんを愚弄していた、という感じに見えた。・・・この人の受け取り方が大勢をしめている気がした。
宮台さんは、意識的に発言の性質をかえた、という気がした。別にそれが悪いというのではないが。

とにかく、彼女が恋多き体質であるのは事実かも知れないが、それは他者がとやかく言うのものではないと思うし、並外れた自由感覚を持った女性は得がたい魅力があると思うし、これでつぶれず頑張って欲しい。