落書き考

世界遺産の建築物や貴重な自然に落書きをした人が見つかって、ニュースになっている。ワイドショーではわざわざ落書きを捜し歩いて、見つけると鬼の首をとったかのようにはしゃいでいる。

三十数年前にイタリアやパリの観光名所を少しまわったことがあるが、日本語の落書きを見た記憶があって『あぁあ、こんなところに落書きをしてもったいない』と思ったものだ。でもそれを告発しようともまでは思わなかった。
昔結婚前に、家の門扉の引き戸にクレヨンで落書きされたことがあるが、継母はひどく怒っていたけれど私は近所の子供が描いたのだと思って全く気にならなかった。
息子が幼児期の頃には部屋の壁は落書きだらけだったし、とにかく”悪戯”には寛容である。猫が壁を駆け上がる、柱をひっかいてボロボロになるなどにも無頓着だ。


こうしたルーズな性格のせいか、今回の落書き騒ぎ、貴重な建物を落書きで侵した無神経さ、無教養さは情けないと思うし、建物側の怒りや抗議はきちんと受け、謝罪し、弁償すべきことだ、と思うけれど、野球部の監督がクビになったということには、そうした処罰を下した側を疑問に思う。テレビやラジオでどなたかも言われていたが、この処罰は世間の風当たりを避けようという保身だと感じるからだ。何かことが起こると、まず世間のバッシングを怖れる大人ばっかりになっていると、ろくなことにならないよ。これは落書きの問題に限らず。


落書きに寛大な自分のことはさておき、そもそも日本人は、落書きはいけない、という概念が薄いのでは? 今回の騒ぎで、これまで無頓着だった人も、”落書きはいけない”という概念を身につけるのだろうと思うけれど、これまではほんと、多くの人は薄かったと思うなぁ。そういう意味でも、クビになった監督を私は気の毒に思うし、能力を惜しいと思う。

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こんなことをいちいち注釈するのはナンですが、中傷や誹謗が目的のような落書きは別の問題ですヨ。