「相棒」30日の再放送と催眠

後催眠で鮮やかに大金を盗む事件が。・・・犯人と犯人の背景が、右京さん(水谷豊)と等位置で描かれていて、毎回ながら物語の品格、成熟度に惹きつけられる。


催眠といえば、十年、もっと前だったか、あるボランティアに参加していて、その研修で心理学の講義を受けた。講師のお一人にある大学の先生がいらした。私はそとめには外交的で活動的に見えるらしいのだが、実際はずうっと欝に苦しんでいて、ある時、その先生を大学に訪ねてカウセリングを受けた。
私は、私の家に、猫や犬を他者が捨てに来ることで、普通の暮らしを失い大変苦しんでいる話をした。するとその先生は、「犬になって」と言われた。「え?! 犬のまねをするのですか!!!???」と驚くと、先生は、「そうです」とすまして言われる。・・・う〜ん、どんなに信頼している人だからと言って、そうそう犬のまねはする気にはなれないゾ。困り果てていると、「犬の気持ちになる、ということですよ」と言われる。「え? まねはしなくていいんですね!?」「ええ、そうです」
内心、『それならそうと最初から言え』と幾分憮然としながらまずはほっとして、”我が家の犬の気持ち”になった。
そこで、先生の質問に答えるのである。
「あなたはどんなところに住んでいますか?」と先生。
「ごく一般的な住宅です。笹薮の森と隣接しています」と犬としての私の答え。
「よく世話をしてもらっていますか」
「散歩は毎日行ってるし、食事も充分もらっています。・・・でも、数が多いので、よく世話をしてもらってる、とはいえないかもしれません」
私はこのように答えていきながら、先生は、この質問を通して、私の抑圧感や被害者意識などを見ておられるのだろうか、と思っていた。
そして、最後にこんな質問をされた。
「では、世話を充分されていなくて、清掃などもゆきとどかないから、あなたは不幸に感じていますか」
私は、「いいえ、不幸だと思ったことはありません。私たちは、数が多くて、大変なこともしでかすけど、厄介に思われたりすることはなく、いつも可愛がられている。いつも楽しい」ときっぱりと答えた。

この時、犬になった私は、真にそう思ったのだ。飼い主としての願望や独善の感覚ではなかった。
そう感じた後、私は不思議な晴れ晴れとした気分を味わった。
そして、これまで、催眠術など関心をもったこともなく知らないことなのに、『これは催眠がかかった状態ではないか』と思った。と、先生が、「終わりました。軽い催眠状態だと思いますから気をつけて帰って下さい」と言われた。やっぱり催眠がかかっていたのだ。


今日(30日)の相棒を観て、そのことを思い出した。