団栗七衛門さんことどんぐりさんとM子さんから、素晴らしい誕生日のお祝いが届く


種類も数ももっとたくさんあったM子さんの手作りクッキーが二個に・・・わけは↓に♪


私の音信不通、ナシノツブテの非礼をやはり許して下さる方がみっちゃんのほかにもいらっしゃる。
どんぐりさんと夫人のM子さんである。どんぐりさんは、息子の年齢ぐらいにお若いのに、まるで私を見守って下さっているがごとくに親身な温かさをもたらせて下さるのだ。
私は時々、『この人は奇跡の人のようだ』と思う人に出会うのだが、どんぐりさんとM子さんご夫妻はまさにそういう人だ。


どんぐりさんは、私のホームページ、『MAOMAOジャングル』にある詩とともに突然現れた。その詩を、サイトに公開すると、多くの人の反響があった。どの人も、どんぐりさんの詩から力をもらった、癒された、とあった。
詩は、どんぐりさんの悲しみの原点を、水が川上から川下に流れるような自然さで表現されているものだったが、そこから滲むものは、まさに荒野の泉であったのだろう。


どんぐりさんは、2002年夏より、単身、アフリカのジブチ共和国に行かれました。ジブチの学校で、子供達に自動車整備の技術を教えるボランティア活動をされるためです。
二年後に帰国されましたが、この間、M子さんはまだ小さかったお嬢さんと二人でどんなに大変だったろうと思います。私はそのことが気がかりでならなかったのに、何も力になることはできませんでした。私の欝症状はとても重く、何らかのお力になってあげなくては、と思うことがより自分を重苦しい呪縛に誘いました。
表立っては、この時期、私はミュージカルの公演をするなど、元気そのものに見えただろうと思うのですが、実際は、全てが自分を追い詰めていく重石になっていました。


それでもどんぐりさんご夫妻は、いつもいつも私に親身な信頼を寄せて下さっていたのです。このことがどれほど私を孤独感から救ってくれたでしょう。私はささやかな私なりの祈りをする時、きまってこの救われたという思いにひたされ、生きてこれたことの感謝にいっぱいになるのです。


そして、この三日前に、「遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます」という心のこもったそれぞれのお手紙とともに、M子さん手作りのクッキーが届いたのです。


喜びは言い表すことができません。嬉しくて、うろうろしてしまうほどでした。
そして、「写真を撮ってブログに出させてもらおう」とひらめき、どのお皿とナプキンを合わせようかとゴソゴソ台所の棚を物色して戻ったら、な、な、なんと、この写真の通り二個だけになっていました。
夫が缶をあけて食べてしまったのです。「うまいね!」と夫はご機嫌でしたが、私はトホホホとがっくりしてしまいました。
実はこの日、夫は血圧が異常に低く、要注意の日で、私は大事な出かける用事があったのですが、夫の状態が悪いので病院に行ってきたところでした。
その要注意の夫が、食欲を取り戻し、みんないただいてしまった、ということなのでした。
私はがっくりでしたが、夫が美味しいと思いいただけた、ということはとてもほっとすることでありがたいことした。


かろうじて残った二個のクッキーを、こうして写真で撮って、私がいただきました。
「これは美味しい!」夫が次々食べてしまうのも無理からぬことでした。いっさいのつまづきのないほどよい甘さ。本当に美味しかったです。ありがとうございました。


それに、誕生日にちっとも遅くないのです。実は私は、本当の誕生日は、2月14日か15日ではなかっただろうか、と思っているのです。昔は、実際の誕生日通りに届けず、きりのいい日にされてしまうことが多かったのです。
子供の頃、祖母とおばが、私の誕生日のことを話していたのを聞いたことがあるのですが、その時、たしか、「和(私のこと)が生まれそうだと母親の実家から電報が来た時、旧正月のための餅をついていたので、出来立ての餅を背負って駅に急いだ。途中、道が凍っていてひっくり返った」と言ったのです。
いつだったかネットで、その年の旧正月がいつだったか調べたら、2月15日だったのです。ですから、お祝いの御餅は、前日の14日についたのではないか、としたら、私が生まれたのは、14日か15日ではないか、と思うのです。


というわけで、どんぐりさん、M子さん、このプレゼントはぴったりだったのです。
ほんとにほんとに嬉しかったです。ありがとうございました!