Dくんの達観

先週の水曜日にお見舞いに行ったおり、看護師さんが、「Dさんは以前はどんなでしたか」と私に訊かれた。
私は、「どんなと言いますと?」と問い返した。
すると看護師さんは、「病院では寡黙であまり話をされないので、どんなことが好きだったとか、ちょっと聞いてみたかったの」と屈託なくこたえられた。
そのあと、三人で談笑という雰囲気になり、なかなかいい時間になった気がする。
私は、Dくんが主に美術関係の活動をしていて、音楽を聴いたり、写真を撮ったりするのが好きで、個展などもよく開いておられたと話した。
看護師さんは関心をもって聴いておられたと思う。そしてそのことがDくんに小さな充足感になった気がした。

しばらく話して、現在はなかなか会いたい友達に会えずつまらないかな、という話の流れになった。
でも、その時、Dくんはきっぱりと言ったのである。
「そんなことないです。マオさんが時々きてくれて、ほかの友達も連れてきてくれることがあって、僕は充分です」。
彼の目は凛として澄み、私は、『DくんはDくんの達観を得ているのだ』と感じた。
だが、ここに至るまでの彼の苦悩のすさまじさを目の当たりにしてきたから、私は泣きそうになってしまった。