餓死

最近餓死ということを身近に考えることが多い。二、三日前に60代のご両親と30代の息子さんが餓死されたというニュースがあって、なおのこと自分にあてて思うようになった。


餓死は、本当に食べる物がなくなっただけではそうならない気がする。食べる物がなくなっただけなら、食べ物を得る算段をどうにでもしてする、という気がするのだ。
要は、生きる気力を失った時、はじめて餓死に至るのだ。
このことは自分の内から自然に思うことだ。


私も死ぬとしたら餓死になるだろうな、と思っている。そしてそれはそんなに遠くない。きっと。
「人間に失望しきってしまった」といってしまうと「いや、それは違う」と否定するものが起きるのだが、ではそこからどう言えばいいんだろうとじいっと考えてつきあたるのは、「人間が作り上げている社会の現状に本当に失望した」と言うことだろうか。


震災と原発事故から政府や県がとった動物放置は、本当に私を蝕んでいく。多くの人間が進んでいる方向にどうしてもついていけない虚無感。